ド根性ガエルの作者:吉沢やすみの転落人生

18歳で上京した吉沢は、アシスタントして漫画界に入った

20歳で「ド根性ガエル」の読み切りを描く

読み切りとしては異例の人気で、連載デビューが決まった

22歳のときにアニメ化

初回放送は視聴率20%台だったが、夕方の再放送で34.5%を叩き出した

年収5000万円、6000万円が4、5年続いた

ド根性ガエルの舞台となった石神井公園に一戸建てを購入

23歳のときに結婚、子宝にも恵まれ、順風満帆だった

 

1976年、26歳のとき、ド根性ガエルの連載が終了した

すぐに次の漫画の連載を始めるが、

ピョン吉以上のアイデアが出ないため人気が出ない

最終的には、マンガが描けなくなった

 

1982年、仕事も家族も捨てて失踪

家から仕事場に行こうとしたが、どうしても仕事場に行けない

雀荘に逃げてしまい、締め切りを10本以上も落とした

その後、ギャンブルで稼いだお金で3か月間 その日暮らし

終いに持ち金が無くなり、自宅に電話

家に戻っても荒みきった吉沢は、ギャンブル漬け

 

長男と長女の大学のために、

稼がなくてはいけないのにマンガが描けない

ガードマンの仕事で家族を養うように

 

●ひとつ屋根の下

そんなころ、一本の電話がかかってきた

フジテレビの新番組で江口洋介が

ピョン吉Tシャツを着たいと要望され了承した

それがドラマ「ひとつ屋根の下」

江口洋介が衣装としてピョン吉Tシャツが使用された

この人気で、子供の学費が稼げたという

さらに胃腸薬ソルマックのCMにもキャラクターが起用

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