女芸人:横澤夏子を育てた父の卓球スパルタ指導

1990年、新潟県糸魚川市に3人兄弟の長女として誕生

両親は、教師で、卓球が縁でお付き合いが始まったという

大きな頭は、横澤家の遺伝

 

中学校で卓球部の顧問をしていた父は、

福原愛ちゃんに憧れ、親子マンツーマンの熱血指導が始まった

自宅に卓球専用の部屋を作り、毎日 夕食後に2時間 練習

すると中学のとき、県内の大会で優勝するほどに

 

中学、高校当時から先生などの気になる人の特徴をノートにメモ

クラスでモノマネをし、人気者に

元々目立ちたがり屋だった夏子は、小学校で児童会長を務めると

中学校で生徒会長、高校でも副会長を務めた

反抗期は中学2年~高校3年生まで続いた

 

両親の影響もあり、将来は教師と決めていたが、

先生になっても1000人程度にしか覚えてもらえない、

芸能人になれば何万人にも覚えてもらえる、と一念発起

大学に行くを止めて芸人になると母に初めて言ったのが、高校の三者面談の前日

父に言ったのは「お父さん、芸人になるから」三者面談に行く出勤10分前

 

高校を卒業するとお笑い芸人を目指し、上京

夢を叶えるため東京の吉本お笑い養成所に入学

同期には、おかずクラブ、デニスなどがいた

最初は芸人としての仕事は、

ほとんどなく、生活費を稼ぐためアルバイト生活

はとバスの係員、うどん屋、結婚式場など30種類以上

たくさんの人との出会いによって

観察力に磨きがかかり、イラッとくる女性ネタが誕生

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