紅白に出演した演歌歌手:門倉有希の監禁事件の真相

●紅白に出演した演歌歌手:門倉有希の監禁事件の真相

1998年、演歌歌手:門倉有希の「♪ノラ」で80万枚の大ヒット

そのルックスをいかして水着の写真集も出版

デビューからわずか2年目で紅白歌合戦に出場した

実はデビュー直後の1994年、

失踪事件を起こしマスコミから猛バッシングを受けていた

その年の新人賞を大きく左右するイベントをドタキャン

マスコミは、登校拒否症、男と駆け落ちと書き立てた

しかし事実は違い、この間、

門倉は死を覚悟した監禁生活を強いられていた

 

●監禁事件

中学3年生のとき、歌手を目指してオーディション番組に出場

その会場で同年齢 15歳の少年Aと出会った

歌手になりたい、同じ夢を持つ2人は意気投合

4年間 文通を続け、高校を卒業すると同時に上京

Aの家で同棲を始めた

 

上京してから1年経った1994年、門倉のデビューが来まった

デビュー曲は、新人演歌歌手としては異例の20万枚の大ヒット

その年の新人賞を総なめにするのではと言われていた

これがAの性格を豹変させることになる

 

「ただいま。疲れた…」

「疲れた 疲れたって俺に対する嫌みかよ」

忙しい門倉、デビューすらできないA

かつて同じ夢を追いかけていた2人は、大きく差が開いてしまった

Aは門倉に嫉妬するようになり、次第に束縛へと変化した

男性マネージャーから電話がかかってくると、

オンフックにして会話を把握

ある日、20時にAと会う約束だったが、

スタッフたちとの急な食事会が入り、帰宅したのは23時

するとズタズタに切り裂かれた門倉の衣装が…

「お前、なんで約束守らないんだよ」

指輪をはめた手で殴られ、顔面から出血

「ごめん、ごめんな、2度と殴ったりしないから」

Aは泣きじゃくり謝罪し、門倉はAを許した

 

バタード・ウーマン症候群→暴力を受けた後に謝罪や優しくされることを繰り返すと心の正常さが失われる

その結果、私がいないとダメになると、男を支えることに依存してしまう

 

門倉は、暴力を受けるのは自分のせいだと

思い込み、Aを責めることはなかった

そして門倉の仕事が増えるのと比例し、嫉妬と暴力はエスカレート

ついにAの精神は崩壊

 

1994年10月1日、その年に活躍した新人歌手が勢ぞろいする歌謡イベント

当時、新人賞を確実視されていた門倉にとって大事な賞レース

家を出ようとすると「ダメだ、仕事には行くな。行くならお前を殺して俺も死ぬ!これで殺してやる!」

Aは、突如 包丁を突き立てて来た

恐怖のあまり身動きが取れないまま時間だけが過ぎた

門倉を心配したマネージャーからの電話が鳴る

しかし電話に出ることも許されない

するとマネージャーが自宅の前に来た

Aの殺意に助けを求めることもできない、マネージャーは去っていった

ついにイベントの開演時刻、門倉のドタキャンに会場は騒然

 

この日から監禁生活が始まる

一緒に住んでいた部屋に閉じ込められた

食事は買いだめしておいたカップラーメンが与えられた

24時間監視、トイレ以外は共に行動

何度もマネージャーが自宅に訪れるも「逃げたら殺す」と繰り返す

 

3日目、Aが門倉から唯一目を離すトイレに入る瞬間、

外に出たが、エレベーターを待っている間に

「俺から逃げられると思ってるのか!」とAに捕まった

 

7日目、Aの外出中、門倉は勇気を振り絞り、階段を駆け下りた

公衆電話から父に助けを求め、命からがら実家に戻った

両親から被害届を出すことを勧められたが

イメージが傷つくのを恐れ、被害届を出さなかった

だがその結果、失踪した歌手として芸能界を干されてしまった

そして監禁のストレスから拒食症となり18キロも激痩せ

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