Category Archives: あのスポーツの裏側

1987年、当時保有していたWWWA世界タッグ王座の初防衛戦で、

首の骨を折り長期欠場していた北斗は、翌年に復帰を果たす

 

みなみ鈴香と海狼組(マリン・ウルフ)を結成し、

「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー

 

これを機にリングネームを付けることに決まった

テイチクと全日本女子プロレルが共同でファンからリングネームを募集

 

相方の鈴木美香は、みなみ鈴香に決まった

 

北斗には、募集したネームに多かった「晶」が決まった

しかし苗字がなかなか決まらずにいたところ、

北斗星司と南夕子が合体変身するウルトラマンAから、

みなみ鈴香のパートナーとして「北斗晶」と名付けられた (11)

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登板の3日前から、フリーアナウンサーで妻の成嶋早穂と別々のベットで寝て、夜の生活も基本なし

 

前日にコーヒーショップに寄る

寝る前に同じ音楽を聴く

同じパジャマ、下着を着る

 

試合開始7時間前に起床

朝食は豚のあんかけ丼

風呂掃除とトイレ掃除

登板日は、いつも同じ私服

同じ道を通って球場へ

試合5時間前に球場入り

昼食は蕎麦とおにぎり2個

 

ブルペンは真ん中

25球を投げ込む

 

左足でグランド入り

ベンチでマエケン体操

ラインは左足でまたぐ

プレートに祈る

手を胸に当て祈る

右肩、グラブに念を送る

右手を上げて、両手を広げ屈伸

 

2か月、勝ちがない時は、粗塩を体に塗る (9)

●超神経質

・時計の針の音で寝られない

 

・ユニフォームはきっちりたたむ

遠征の前の日は、準備に4時間かかる

 

・ラケットの重さが1g違うだけで嫌

 

●超大雑把

・世界大会でゼッケンを忘れて手書きで書いて出場

 

・前髪を、ラケットのラバーを切るハサミで切ったことも

 

妹:石川梨良さんによると

・忘れ物が多い

リオ五輪の解団式に公式ウエアのブラウスとスカーフを忘れ、

「忘れたから届けてほしい」と連絡が来た

 

・味噌汁にウインナーが入っていた

当初はポトフを作ろうと思っていたが、

ふと味噌汁が食べたらしくなってポトフの材料で味噌汁を作った

 

・パジャマにメダル

姉の友人が泊まりに来た時、パジャマを貸したら

ポケットにメダルが入っていた (74)

●全日本女子バレー:木村沙織はド天然

中学、高校の先輩でもある

元全日本女子バレー:大山加奈子によると

控えメンバーが選手にタオルを肩にかけるタイムアウト、

ベンチスタートでウォーミングアップしていた木村は、

控え選手たちがタオルを持っている中、

ストレッチ用のゴムチューブを肩にかけようとしたその瞬間、

ようやく気付き、必死にベンチに猛ダッシュ

 

●他人を陥れる嘘をつく

大山は、当時、マジックテープだけのシューズを履いていた

「加奈さんは靴紐 結べないからああいうシューズ履いています」

と木村はメディアに言いふらしていた (70)

ロス、ソウル五輪で2大会連続 金メダルを獲得

引退後は指導者として活躍した柔道:斉藤仁

北京、アテネ五輪では男子柔道監督も務め、

リオ五輪での活躍も期待されていた矢先、

2015年1月 突然のがんで この世を去った

一家の大黒柱を失った家族 妻:三恵子さん、長男:一郎、二男:立

一郎くんは、大阪でベスト3にもなった実力者

中学3年生の立くんの練習相手は、高校生

小学6年生のときに全国少年柔道で日本一に

日本柔道界のホープとして期待されている

 

斉藤が現役を引退後、国士舘大学柔道部の監督をしていた

三恵子さんは、元キャビンアテンダント

出会いは、機内 斉藤の一目惚れだった

国民的ヒーローの斉藤を知らないほど、

三恵子さんは柔道には一切興味がなかった

斉藤からの熱烈なアプローチで交際し、結婚

2人の子供に恵まれた

柔道を離れれば一人の子煩悩な父だった

そんな親子関係が劇的に変わったのが、

小学4年生になった長男が、柔道をやりたいと言ってから

その言葉を聞いた日から、自宅でも稽古を行えるように

自宅の和室の畳を柔道用の畳に張り替えた

柔道を志したなら たとえ我が子でも妥協せずに極めてほしい

そんな想いから厳しい指導者としての顔を家庭にも持ち込むように

柔道を知らなかった三恵子さんは、

我が子相手とは思えないほど厳しい斉藤に、

そこまでしないとダメ?と告げたが「今 稽古してるんだ!口を出すな!」

柔道のこととなるといつもとは別人、勝負師の顔になる斉藤

その後、さらに熱を帯びた父の指導にみるみる上達

全国大会でも好成績を残す成長ぶり

 

2014年1月、斉藤は 医師から胆管がんと診断される

すでにリンパ節に転移し、進行度はステージⅣ

手術もできない末期だった

三恵子さんは、初めて打ちひしがれる夫を見た

しかし絶望的ながんとの闘病だが、柔道への炎は消えない

激しい指導ぶりはそのまま時と場所を選ばずに稽古し続けた

残された時間で全てを燃やし尽くすように

 

「あいつらは天才だぞ。オリンピックもひょっとしたらひょっとする」

「本当に?」「でもあいつらには言うなよ。調子に乗るから」

三恵子さんは、がんが発覚する前、こんな会話をしてことを思い出す

斉藤にとって柔道を教えることは、未来を切り開く父の役割を果たすこと

 

斉藤の想いを受け、三恵子さんは

父と息子の稽古風景を映像で撮影すること

柔道を全く知らない三恵子さんが、考えたサポート

映像があれば当人では分からない体の動きを

客観的に確認し、分析できると考えた

少しでも夫と息子の役に立ちたい、そんな思いからカメラを回し続けた

そして2015年1月20日、早すぎる死だった

三恵子さんは今も息子たちの試合ではカメラを回し続け、

在りし日の夫のように時には厳しく我が子に声をかける

「5分でいいから出てきてほしい。そのかわり私の命を5年間 縮めてもらってもいいから「お父さんに会いたいね」私のやってることは正しい?合ってる?って聞きたいですまだ始まったばかりだから。これから先の方が長いのでまだまだ振り向いている場合じゃない」 (291)

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