Category Archives: デビュー/引退秘話

祖父はアメリカ人なのでクォーター

幼少期は、金髪に近かった

父は石蔵三郎のマネージャー、母は古着屋で働いていた

娘はモデルのSUMIRE、息子のHIMIも芸能活動をしている

 

●加瀬亮が付き人だった

24歳のときに付き人を担当したのが加瀬亮

 

●芸能界デビューは金八先生

1988年に放送された金八先生 第3シリーズ

同級生役には、V6長野博や萩原聖人など

レギュラーだったが、エクストラのような存在だった (2)

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フィリピン出身のハイトーンボイス Beverly

2017年5月にデビュー

アルバム「AWESOME」がヒット

MISIAのプロデューサー与田春生は

「とんでもない歌手が現れた」と絶賛

 

1994年6月20日、フィリピンのカランバシティーにて生まれる

5Aとよばれる高音域まで届くハイトーンボイスが特徴

フィリピン・アメリカなどの音楽祭で数々の賞を獲得

「日本に行くことは”人生のやりたいことリスト”に入っていたので、日本で活動できて嬉しい」と話している

 

小栗旬がその歌声に惚れこみ、ドラマのプロデューサーに紹介

ドラマ「CRISIS」の主題歌に抜擢された (2)

●陸上 長距離選手

小学校2年生から高校3年生までの10年間 陸上部で長距離に打ち込んでいた

登校すると学校の周り1キロを10周してから授業を受けていた

 

●程よくモテていた

ファーストキスは15歳で自宅近くの坂の上、相手は野球部

 

●20歳で食欲増進 見た目が大きく変化

大学は教育学部に進学

周りは先生になりたい熱のある学生が多く、

何気なく入ったブルゾンは、

自分は何をやりたいんだろうと自分を見失って激太りした

 

●22歳でワタナベエンターテイメントカレッジに入学し、24歳で芸人デビュー

 

●アースティン・マホーン

ネタ見せが明日と切羽詰まっていた時に、YouTubeで漁って

たまたまオースティン・マホーンの「ダーティ・ワーク」にたどり着いた

オフィスでオースティンが躍りながら歌うPV

音楽と設定をオフィスに決めた

 

●ストレス発散法が独特すぎる

大親友の先輩芸人:加藤誉子によると、ちえみは、月が好き

しらふで満月を見て泣いている

 

●売れて すぐ抱かれるためにネパールコミュニティに行った (22)

国立音楽大学を卒業して、劇団四季に入団

2017年4月1日までNHKの「おかあさんといっしょ」

11代目うたのおにいさんを務めた横山だいすけ

 

●NHKのお客様センターに問い合わせ

高校生の頃から「うたのおにいさん」になることに憧れ、

うたのおにいさんになるには、どうしたらいいか?

とNHKのお客様センターに電話

ヤバイ奴から電話が来た感じの雰囲気で

「今は受け付けておりません」と回答されるが、

NHKとのつながりは、お客様センターしかない横山は、

それから数回、お客様センターに問い合わせしたところ、

すると「おかあさんといっしょ」の内線に繋いでくれた

ようやく「おかあさんといっしょ」のスタッフと話し、

「うたのおにいさん」になるための流れを聞くことができた

 

うたのおにいさんだった今井ゆうぞうが、

かつて劇団四季に所属していたことを聞き、

横山も国立音楽大学を卒業して劇団四季に所属し、

「おかあさんといっしょ」のオーディションには、

劇団四季に所属していた記事を持参した (10)

●ミュージカルは、舞台に立つまで見たことがなかった

初めて見たのは、2003年 大学を卒業してから

 

●喉の内視鏡

耳鼻科で喉の声帯を頻繁にチェックしている

内視鏡の画像をアルバムに入れて保存している

ミュージカルの本番中は、毎日 行っている

 

●せっかち

エレベーターでは、コントロールパネルの前に立ち、

閉まるボタンを押してから、階数ボタンを押す

 

●田舎育ち

卵と鶏肉は、スーパーではなく養鶏場で購入

小学校まで歩いて45分、ひたすら野花の蜜を吸っていた

コンビニを見たことがなかった

お菓子は、すべて母の手作り

 

●バンコクでカラオケを初体験

毎週末、家族でカラオケに行き、7時間滞在していた

友人とカラオケ行ったら、あの歌うたって、この曲歌ってと喜んでくれた

歌うと喜んでくれることから歌手になりたいと思うように

 

1980年、愛知県の超ド田舎 祖父江町に生まれる

顔は父親似、性格は母親似

父の仕事は、エレベーターの設計開発者

作業事務をしている母親は、ママさんコーラスに在籍し、ずっと鼻歌を歌っていた

 

姉の影響で、3歳からピアノを習い始めたが、

落ち着きがなくピアノの前でジッとしていられないと、

先生に呼び出されて歌やダンスを薦められた

 

1991年、11歳のとき、母から突然「バンコクに引っ越すわよ」と宣告

父の海外赴任で突然 バンコクに行くことに

両想いだった同級生と体育館で2人だけでお別れ

バンコクでは都会の高層マンション暮らし、15階に住んでいた

田舎の小学校からインターナショナルスクールに転校

クラスはなく大学と同じ 授業の選択制

外国の友達に囲まれ、性格が積極的に

 

17歳でバンドを組み、相川七瀬などのJ-popをカバー

日本の雑誌で読んだセブンイレブンの牛カルビ弁当がきっかけで、日本に帰りたくなり帰国

 

帰国後、1999年 上智大学法学部に帰国子女枠で小論文と面接で入学

本格的に歌手を目指し、芸能事務所に所属

デモテープを作り、2年間の営業活動の結果、成果なく

 

2001年、テレビ朝日のアナウンサーの試験を受験

最終のカメラテストに合格し最終面接で不合格

中越典子が辞めた枠の「王様のブランチ」のリポーターに抜擢

 

●ミュージカル女優になるきっかけ

2003年、23歳のとき、突然 ミュージカルのオーディションを受けてくださいと依頼が入った

受けてみたら役に合格

後に聞いたら、自分をプレゼンする大学の授業で、3秒だけ口ずさんだ歌声

それを覚えていた学年も違う女性が、

2年後に、レ・ミゼラブルのオーディション枠に推薦してくれたことを知った (20)

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