あのスポーツの裏側」カテゴリーアーカイブ

●超神経質

・時計の針の音で寝られない

 

・ユニフォームはきっちりたたむ

遠征の前の日は、準備に4時間かかる

 

・ラケットの重さが1g違うだけで嫌

 

●超大雑把

・世界大会でゼッケンを忘れて手書きで書いて出場

 

・前髪を、ラケットのラバーを切るハサミで切ったことも

 

妹:石川梨良さんによると

・忘れ物が多い

リオ五輪の解団式に公式ウエアのブラウスとスカーフを忘れ、

「忘れたから届けてほしい」と連絡が来た

 

・味噌汁にウインナーが入っていた

当初はポトフを作ろうと思っていたが、

ふと味噌汁が食べたらしくなってポトフの材料で味噌汁を作った

 

・パジャマにメダル

姉の友人が泊まりに来た時、パジャマを貸したら

ポケットにメダルが入っていた

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●全日本女子バレー:木村沙織はド天然

中学、高校の先輩でもある

元全日本女子バレー:大山加奈子によると

控えメンバーが選手にタオルを肩にかけるタイムアウト、

ベンチスタートでウォーミングアップしていた木村は、

控え選手たちがタオルを持っている中、

ストレッチ用のゴムチューブを肩にかけようとしたその瞬間、

ようやく気付き、必死にベンチに猛ダッシュ

 

●他人を陥れる嘘をつく

大山は、当時、マジックテープだけのシューズを履いていた

「加奈さんは靴紐 結べないからああいうシューズ履いています」

と木村はメディアに言いふらしていた

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ロス、ソウル五輪で2大会連続 金メダルを獲得

引退後は指導者として活躍した柔道:斉藤仁

北京、アテネ五輪では男子柔道監督も務め、

リオ五輪での活躍も期待されていた矢先、

2015年1月 突然のがんで この世を去った

一家の大黒柱を失った家族 妻:三恵子さん、長男:一郎、二男:立

一郎くんは、大阪でベスト3にもなった実力者

中学3年生の立くんの練習相手は、高校生

小学6年生のときに全国少年柔道で日本一に

日本柔道界のホープとして期待されている

 

斉藤が現役を引退後、国士舘大学柔道部の監督をしていた

三恵子さんは、元キャビンアテンダント

出会いは、機内 斉藤の一目惚れだった

国民的ヒーローの斉藤を知らないほど、

三恵子さんは柔道には一切興味がなかった

斉藤からの熱烈なアプローチで交際し、結婚

2人の子供に恵まれた

柔道を離れれば一人の子煩悩な父だった

そんな親子関係が劇的に変わったのが、

小学4年生になった長男が、柔道をやりたいと言ってから

その言葉を聞いた日から、自宅でも稽古を行えるように

自宅の和室の畳を柔道用の畳に張り替えた

柔道を志したなら たとえ我が子でも妥協せずに極めてほしい

そんな想いから厳しい指導者としての顔を家庭にも持ち込むように

柔道を知らなかった三恵子さんは、

我が子相手とは思えないほど厳しい斉藤に、

そこまでしないとダメ?と告げたが「今 稽古してるんだ!口を出すな!」

柔道のこととなるといつもとは別人、勝負師の顔になる斉藤

その後、さらに熱を帯びた父の指導にみるみる上達

全国大会でも好成績を残す成長ぶり

 

2014年1月、斉藤は 医師から胆管がんと診断される

すでにリンパ節に転移し、進行度はステージⅣ

手術もできない末期だった

三恵子さんは、初めて打ちひしがれる夫を見た

しかし絶望的ながんとの闘病だが、柔道への炎は消えない

激しい指導ぶりはそのまま時と場所を選ばずに稽古し続けた

残された時間で全てを燃やし尽くすように

 

「あいつらは天才だぞ。オリンピックもひょっとしたらひょっとする」

「本当に?」「でもあいつらには言うなよ。調子に乗るから」

三恵子さんは、がんが発覚する前、こんな会話をしてことを思い出す

斉藤にとって柔道を教えることは、未来を切り開く父の役割を果たすこと

 

斉藤の想いを受け、三恵子さんは

父と息子の稽古風景を映像で撮影すること

柔道を全く知らない三恵子さんが、考えたサポート

映像があれば当人では分からない体の動きを

客観的に確認し、分析できると考えた

少しでも夫と息子の役に立ちたい、そんな思いからカメラを回し続けた

そして2015年1月20日、早すぎる死だった

三恵子さんは今も息子たちの試合ではカメラを回し続け、

在りし日の夫のように時には厳しく我が子に声をかける

「5分でいいから出てきてほしい。そのかわり私の命を5年間 縮めてもらってもいいから「お父さんに会いたいね」私のやってることは正しい?合ってる?って聞きたいですまだ始まったばかりだから。これから先の方が長いのでまだまだ振り向いている場合じゃない」

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1997年、シドニー五輪を目指す

全日本女子バレーボールの監督:葛和伸元

ついたあだ名は、ニッポンの怒る人

1964年の東京五輪以降、初の予選敗退

世間から大バッシングを受けた葛和は、

責任を取り辞任した

 

●元全日本女子バレー鬼監督:葛和伸元は今…仙台で時給750円のバイト生活

 

葛和監督が働く店は、さぬき麺屋 仙台泉直売所

モチモチで弾力にある自家製麺を使った「温玉ぶっかけ」が人気

時給750円、1日4時間、週3日働き、月36000円稼いでいる

 

実は妻と息子を東京に残し、仙台で一人暮らし

57歳で監督を引退した葛和は、再就職をトライ

添乗員、喫茶店、お好み焼き店、旅館など

転職を申し込んだが、面接もさせてもらえない

そして59歳のとき、ようやく再就職

バレーの2部リーグ 仙台ベルフィーユの監督に就任

週6日、夜はバレーの監督をしている

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全日本選手権3位、全日本実業団選手権 団体優勝に輝いた松島由美は、卓球の指導者

両親もお姉さんも卓球選手

父の5人の兄弟も卓球選手

祖父は元世界選手権女子コーチ

夫は、全日本社会人卓球選手権ベスト8の松島卓司

両親も全日本に出場した卓球選手

親族のほとんどが卓球選手

 

卓球一族

 

創立60年の田阪卓球会館(京都市)

生徒数は130人、昼 夫は大人の卓球指導、妻は道具販売の事務作業

出会いは高校時代、由美が逆ナン

交際後、ペアを組み全日本選手権で混合ダブルス3位

その後、25歳のときに結婚

 

 

そんな2人の子供が、長男:輝空(そら)くん

輝空の夢は「オリンピックの金メダル」

現在、全日本選手権(バンビの部)2連覇中

そして二男:翔空(とあ)くんも

幼稚園児ながら全日本選手権でベスト32という実力者

長女:美空(みく)ちゃん、二女:愛空(あいら)ちゃん

妻:由美の夢は、「4人とも日本代表の日の丸をつけて世界チャンピオン」

そのため練習は平日5時間、休日10時間以上

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