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第一回 国民的美少女コンテストをきっかけに芸能界デビュー

90年には、CMクイーンとして席巻

5年間でCM出演数 60本、モデルや女優として活躍

 

2006年、34歳のときCMディレクターと結婚

2人の子供も生まれ幸せに暮らしていた

しかし夫の母が肝硬変を患い、

愛媛県に住んだいた夫の両親を東京に呼び、一緒に暮らすことに

 

●元アイドル:高橋里華は今…夫の両親のダブル介護に奮闘

リビングには、義母が寝る介護ベッド

末期の肝硬変、膀胱がんを患っている

歩くこともままならず週3回、病院に行き、人工透析が必要

 

一見、健康に見える義父は、認知症の兆候が現れ始めている

お風呂に入った数時間後には「風呂は沸かしたんじゃないの?」

入浴したことも忘れ、何度も風呂に入ろうとする

認知症のため目が離せない、

認知症の症状のひとつである暴力が現れ、

義母はリビングで寝起きするように

 

幼い子供を育てながらのダブル介護

 

実は高橋は、埼玉県に暮らしていた祖父母2人を

34歳から4年間 介護していた

祖父が大腸がん、祖母が糖尿病を患い、介護が必要な体に

当時 新婚だった彼女は、

週5日 東京から埼玉まで通い、母と共に介護をしていた

祖父母の介護を完璧にできなかったことを悔やんでいた

もう同じ後悔はしたくないと夫の両親の介護に臨んでいる

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1990年代、アナウンサーとして日テレの顔を務めた町亞聖

2011年、突如 日本テレビを退社

 

●就職

1995年、日本テレビのアナウンサーとして就職

町が18歳の時に母がくも膜下出血で倒れ、

後遺症により右半身マヒ、言語障害、車いすの生活に

母の介護で、介護問題を伝えられる仕事がしたいと

アナウンサーを目指すきっかけとなった

 

●高額の医療費

母が倒れた今、弟と妹の学費、生活費、母の医療費を稼ぐのは長女の役目

アナウンサーの激務と終わらない介護……

介護をして8年目、町が26歳の時、

突然、母が子宮頸がんの末期と診断された

言語障害の母は、自分気持ちを周りに伝えられず、がんの判明が遅れた

気付いた時には手術すらできない状態

できるのは終末期医療のみ

1999年11月9日、母 永眠(享年49)

 

●局アナの失職

29歳の時、ある日 上司に呼び出された

「異動になったから」アナウンス部からの異動の宣告だった

医療や介護の番組企画を通していた町に、

アナウンサー以外の可能性を見出していた上司は、

彼女への新たなミッションとして異動を命じた

まだ若かった町は、その意図を読み取ることができずに、

アナウンサーの仕事を奪われたと…

その後、部署を異動してからの10年間、

いつかアナウンサーへ戻るため毎年 異動願を出し続けた

気付けば38歳…ある情報番組の制作スタッフとなった

出演者の弁当、控室などアナウンサー時代には

用意されていたものを用意する側に

ストレスを抱えながら働く町は、うつ状態に

突然 涙があふれ出して止まらず人気のないところで泣く毎日

休日は家から一歩も出られない状態

 

●峰竜太

町の介護生活をしていた数少ない芸能人のひとり

埼玉県の外れで行われた母の葬儀に芸能人で唯一参列

町のことを常に気にかけてくれていた

アナウンサーとして最後の収録日、「町さんなら大丈夫」

峰竜太は多くを語らず優しく声をかけてくれた

日本テレビ入社から16年、会社を辞めた

町はフリーとしてアナウンサーに返り咲いた

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