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グラビアアイドルとして活躍する永井すみれの50歳の母親が、

娘よりも2歳も年下の18歳の男子と再婚

 

2015年3月、不仲が原因で両親が離婚

父親と離れ、永井は母と姉の3人で生活を始めた

母の職場に当時17歳の男子がアルバイトで入ってきた

色白で細身、フィギュアスケートの羽生結弦に似たイケメン

母に一目惚れした男子は、告白

「ママ、17歳の告られたんだけど」と母は娘に報告

何回か断っていたようだが、気付いたら交際していた

いつの間にか、地元で手をつないでいる2人を見かけるように

 

2015年6月、自宅に帰宅した娘に母が

「すみれ、ママ結婚した」と突然の結婚報告

 

母は入籍したことを親族に隠していたのだが、

たまたま自宅に祖父が訪ねて来た時に、名字の変わった母の郵便物を発見

祖父は祖母、叔母に報告。特に叔母が激怒し、母と縁を切られた

さらにいまだに男子の両親に結婚の報告はしていないという

現在、母と男子は一緒に暮らしておらず、男子は実家で生活している

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●夫婦ユニット:ル・クプル 離婚の真相

1997年、妻:藤田恵美はボーカル、夫:藤田隆二はギター

「ひだまりの詩」が「ひとつ屋根の下2」の挿入歌となり180万枚の大ヒット

物腰柔らかい温厚そうな夫:藤田隆一

その年の紅白にも出演し、誰もが羨むおしどり夫婦だった

しかし大ヒット以降、2人の生活は激変

優しかったはずの夫が豹変、さらに異常なまでの束縛

夫婦生活は完全に崩壊し、2007年、2人は離婚

 

隆二と出会ったのは1983年、20歳の時

あるバンドのボーカルとして活動していた

新しいバンドメンバーとして加入してきたのが、隆二だった

意気投合した2人は、出会って7年で結婚

その3年後に結成したのが、ル・クプル

フランス語で夫婦を意味する

2人は二人三脚で営業を始める

日本全国631か所を9か月かけて回った

すると評判を聞いたドラマのプロデューサーが、

「ひだまりの詩を歌ってほしい」とオファーが舞い込んだ

基本的に夫:隆二が作ってきた曲を歌ってきた

他人の曲に多少の戸惑いはあったものの快諾

恵美の声で曲が仕上がり、リリースされるとたちまち話題に

180万枚の大ヒットとなった

これ以降もツアーや曲の制作を続けたものの

隆二は一度もヒット曲をかけないままル・クプルは、

一発屋のレッテルを貼られていた

 

すると家庭での隆二に変化が…

隆二は仕事の不安を恵美にぶつけるように

ル・クプルの停滞を心配したスタッフが、恵美にソロ活動を提案

しかしこれが隆二の逆鱗に触れる

「お前 ソロなんかで本当に成功すると思ってんのか?俺がいないのに!売れるわけないだろ」

少しでもル・クプルのためになるのであればと

恵美はソロで洋楽のカバーアルバムをリリース

するとこのCDが香港でヒット、さらにアジア全体で大ヒット

累計35万枚を売り上げた

 

恵美はソロ歌手として大成功をおさめた

この成功が隆二をさらに逆上させる

隆二は執拗に恵美を責めるように

 

さらに隆二は恵美を束縛するように

それでも隆二との家庭を失うことを恐れ、我慢の日々を送っていた

「離婚だ」ついに隆二の口からその言葉が飛び出した

「離婚!離婚!離婚!離婚!」そう言い放つと隆二は家を出て行った

2007年、2人は離婚した

とうとう過程を失ってしまった恵美は、歌手を辞める決意をしていた

 

実は隆二が離婚を切り出した理由は、

妻の本心を確かめたいというカマかけだった

その真相を恵美は、10年後に謝罪と共に耳にした

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バイキング!で高橋ジョージが離婚騒動の真相について語った

 

芸能界きってのおしどり夫婦として知られた高橋ジョージ&三船美佳

 

2015年01月16日、三船美佳はマスコミ宛てに別居についてコメントを発表

“はじめに、関係者の方々に

ご心配とご迷惑をお掛けしました事を心よりお詫び申し上げます。

この度、私 三船美佳は、夫・高橋ジョージとの離婚を決意し、

一昨年の12月末より別居し、現在 母と娘の3人で暮らしております”

 

●別居のキッカケ

当時 三船は大阪で3本のレギュラーを抱えていた

そのうちひと番組は宿泊があるので、移動が大変だった

そんな時、三船から「しばらく大阪を拠点でやりたい」と相談だけ

 

当初は大阪での仕事の為に出て行ったものだと思っていた

これをキッカケに別居生活が始まった

「出て行く」「嫌いだから別れて」と何も言われていなかった

 

その時、東京都内の自宅には高橋さんが残り、

三船は娘と母親で女優の喜多川美佳と

大阪のウィークリーマンションで暮らしていた

●別居後 一度だけ話し合いをしていた

別居する前から決まっていた結婚イベントがあったので、

電話で「イベント後どうする?」と聞くと

「ご飯でも食べる?」と言われたので、

本当に仕事を理由に出て行ったと思っていた

 

別居後、2人は、イベント後の食事で初めて話した

高橋から「何で出て行ったの?」と聞くと

「あなたをもう支えきれなくなりました」と答えた

「じゃあ今度は俺が支えるから、どうしたらいい?」

「夜中までパスコンやるの止めて」や

「子供ともっといっぱい遊んであげて」など

三船の希望を聞いて「分かりました」とひとつひとつ了承した

その席には証人として友人が同席していたが、

「離婚」のワードは出てこなかった

 

ライブで大阪に行った時に、高橋は娘と2人だけで会った

電話で娘が三船に「パパと食事して泊まりたい」「いいよ」

「次の日、パパと東京行きたい」と付け加えると「ダメ」

その日以来、高橋は娘と会っていないという

 

2014年3、4月頃、高橋と離婚調停をしていたが、

高橋が「もう一度やり直したい」と希望したため決裂していた

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辻仁成が、元妻:中山美穂と離婚したことを発表したのは、2014年7月8日

「今後は息子とふたりで生きていくことになります」と

自身のブログに綴っており、離婚を急いだ中山が長男の親権を手放す形となった

それは離婚協議中だった14年5月、女性セブンに

「音楽家の渋谷慶一郎さんとのラブラブデート」を報じられたから

たとえ親権を巡って争っても不倫の事実が中山を不利にさせる

●辻仁成が語る中山美穂との離婚秘話

日本はサインで済むが、フランスは離婚が難しく2年、3年かかる

だが、フランス式の離婚は親権をお互いで分けられる

辻は、中山に フランス式で離婚した方がいいんじゃないか?と勧めたという

僕は離婚したかったわけではなかったから…と付け加えた

 

そんな辻のシングルファーザー生活はスゴい

子供に朝ご飯を食べさせ、学校に送り届ける

フランスでは小学校を卒業するまで保護者による送迎が義務付けられている

その帰りの朝市で夕飯の買い物を行うのが日課

辻の料理の腕前はプロ並み

アンチョビ炊き込みご飯、グリーンカレー、しゃけカルボナーラ…

急激な生活の変化に辻がすぐに適応した

子供にも仕事にもしっかりと向き合い、上手く折り合いをつけている

 

ある日 突然 息子が「パパは世界一のパパだけど、普通のパパじゃないよ。僕はパパのパートナーだから一緒に戦って一緒に成功しよう」と言葉をかけてくれたという

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教訓のススメで紹介

1996年、女優:高岡早紀と結婚した保坂尚希

●保坂尚希と高岡早紀の離婚騒動の真相

結婚前から、高岡早紀は家事が苦手と感じていた保坂

結婚後、一切家事をやらない妻をフォローするため、

妻の妹が毎日家にやって来た

保坂は妻の誕生日にはプレゼントを欠かさなかったが、

保坂の誕生日は…結婚していた8年間、一度も祝ってっもらった事がない

 

テレビに映っていないスッピンが見られるため、

保阪の友人やスタッフの自宅への入室は禁止

 

全てにおいて女王様思考な妻との生活はギクシャクし、

結婚7年目には高岡の方から離婚話を切り出すように

そのため保坂は、その要望に応じ、離婚届にサインはしたものの、

夫婦で出演したCMの契約期間があるため説得を続けていた

 

●2004年、FRIDAYがスクープした保坂尚希の元妻:高岡早紀の不倫疑惑

ヒロミ、若乃花、保坂でレギュラー番組のロケでマレーシアに滞在中、

日本にいる高岡から電話がかかってきた

「帰りの飛行機変えられない?多分大変な事になると思うから違う空港から帰った方がいいよ」

実はこの日、高岡早紀の浮気現場と称された写真がFRIDAYに掲載

マスコミは保坂の話を聞こうと空港に殺到していた

しかも妻は保坂が止めていた離婚届を騒動直前に提出

こうしてCM契約終了を待たずに2人は離婚に至った

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