松崎しげるが愛のメモリーに出会うまで

●松崎しげるが愛のメモリーに出会うまで

1966年、ビートルズの影響で松崎はバンドを結成

ギターをベース、ボーカルを担当

その歌唱力が評判となりコンクールでも優勝

 

1968年、18歳で日高富明などとバンド「ミルク」でプロデビュー

この時、マネージャーとして付いたのが宇崎竜童

しかしヒット曲に恵まれずバンドは2年で解散

 

1970年、21歳の時 ソロデビューするが、これも全く売れず

この頃、加山雄三に影響され、グアムで日焼けをするように

ひたすら日焼けに没頭していると親善大使に任命

 

その一方で解散したバンドのメンバー達は、ガロとしてデビュー

「学生街の喫茶店」が大ヒットし、で紅白歌合戦にも出場

さらに当時、マネージャーだった宇崎竜童も

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成し、大人気に

 

周りが売れ始め、松崎は酒におぼれ自暴自棄に

そんな頃に、CM曲の依頼が殺到

 

1976年、スペインで行われたマジョルカ音楽祭に出場

そこで松崎が披露したのが、「愛のメモリー」の原曲「愛の微笑」

松崎は最優秀歌唱賞を受賞したが、日本では相手にされず、

テープを広告代理店に渡し、自ら売り込んだ

グリコアーモンドチョコレートのCM曲に採用

1977年、「愛のメモリー」と曲名を変えてレコードされ大ブレイクを果たした

(347)

スポンサード リンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

スポンサード リンク