着ぐるみのアルバイトをしていた萩原健一

1987年、16歳のときにザ・テンプターズのボーカルとしてデビュー

自宅がある大宮から仕事場へ行く京浜東北線が毎日ファンで満員に

ついに当時の国鉄から事務所にクレームが入った

 

●1971年、ザ・テンプターズ解散し、

沢田研二とバンド:PYGを結成するも1年で脱退

 

●1972年、映画「約束」でサード助監督で参加し、主演に抜擢

レフやバッテリー持ちながら、演じた

 

●「太陽にほえろ!」に新人刑事:マカロニ役で出演

人気絶頂時に自ら殉職を希望し、

死に方のアイデアは萩原健一が考えた

 

●1974年、「傷だらけの天使」

衣装からストーリーに至るまでショーケンのこだわりが満載

 

●1980年、映画「影武者」

主役に起用された勝新太郎が半年に及ぶリハーサルのあと突如降板

その理由は「○○してる時間があるなら ちゃんとリハーサル来なきゃ」

現場に来ない勝新太郎を滞在先の

ホテルニューオータニまで説得に出向いた

「部屋に入ると○○臭い。部屋には内田裕也もいた。何やってんの?と声をかけた」

「信玄は分かるが、影武者は分からない」と勝新太郎が言った

「それは考えなくていいから出てこい。それは君が考えることじゃないから」

 

●宇宙柄のパンツを穿くほど宇宙が大好き

 

●強引な取材をするテレ朝の芸能レポーターをカメラで撮影し、

「撮られる側の気持ちが分かるか」と一喝

 

●着ぐるみのアルバイトをしていた

芸能活動自粛中に、養育費のために

スヌーピーの着ぐるみのアルバイトを1年近くしていた

(454)

スポンサード リンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

スポンサード リンク