高橋大輔が語る引退の真相

バース・デイで男子フィギュア:高橋大輔が引退への想いを語った

 

2014年10月14日、日本の男子フィギュアを牽引してきた高橋大輔が引退した

 

●高橋大輔 20年間の苦悩と引退の真相

 

1986年、岡山県倉敷市

高橋大輔は、スケートとは無縁のごく普通の家庭で生まれた

1994年、7歳でフィギュアスケートをはじめる

野球やサッカーの球技が得意ではなく団体競技が苦手だった

知り合いのお姉さんに連れて行ってもらったスケートに魅了された

褒めてくれたのが嬉しかったし、続く原動力になった

 

中学に入ると振付師 兼 コーチとして活躍していた長光歌子に出会う

長光は、高橋の間の感性に惹かれた

2000年、2001年、全国中学校スケート大会を連覇

 

中学を卒業すると長光は、一般家庭の両親に負担をかけさせないよう、

そしてスケートに専念させようと下宿に下宿させた

コーチとして母として引退するまでの14年もの間、高橋を献身的に支えてきた

2006年2月、トリノ五輪に出場、高橋は男子唯一の出場で8位

五輪後の世界大会で高橋は何度も表彰台に上がる

そして2010年、バンクーバー五輪、高橋は見事 銅メダルを獲得

高橋の活躍がキッカケとなり男子フィギュアへの注目は格段に上がった

 

●世代交代

ソチ五輪では日本中が日本のエース:高橋の金メダルを期待していた

しかしその期待を感じる反面、

2年ほど前から自分の立場に不安を感じていたという

バンクーバー五輪以降、男子フィギュア界の情勢は大きく変わり始めていた

小塚崇彦、町田樹など世界で結果を残すようになった

特に意識したのが2012年3月世界選手権で銅メダルを獲得した羽生結弦

「シーズン入る前から、ヤバイなこいつ みたいのはあった。場を支配する空気感を出す選手はそんなにいないと思う」

自分が結果を残せなかったらすぐに序列が変わると思ったという

 

2013年12月、ソチ五輪代表を決める全日本選手権に出場

しかし大会1か月前に右すね骨挫傷により十分な練習ができなかった

結果は5位…優勝したのは羽生だった

高橋は世界ランキング3位の実績が評価され、ソチ五輪代表には選ばれた

世代交代という言葉がささやかれ始めたのを高橋も敏感に感じ始めていた

2014年2月、ソチ五輪、笑顔で終えた演技の結果は6位

その6分後、羽生結弦が金メダルを獲得する

「これからは彼が日本を背負っていく。引っ張っていってもらいたい」

と高橋は羽生結弦にエールを送った

2014年10月、引退を発表した

 

●引退への想い

第一線でやってこれた人たちは、気持ちとしては続けたいんじゃないですかね

ただ どんどん惨めになっていくのが耐えられるか?耐えられないか?によりますけど…

第一線の中で勝ち負けはあったとしても、そこに入れないのは嫌なので、

それがキツくなってきたのもあるんですかね

(もし足が万全なら?)足じゃないです、気持ちです

 

ちなみに…

●高橋大輔の「大輔」の名前は嶋大輔からとった

名付け親は、母親が勤めていた理髪店:理容タムラの娘:英子さん

英子さんが当時大人気だった嶋大輔の「♪男の勲章」のテープを持っており、

「大輔どう?」「いいかも」と決まったという

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