前田耕陽が語る男闘呼組の結成秘話

ジャニーズ初のロックバンド:男闘呼組のキーボードを担当した前田耕陽

当時のジャニーズとしては珍しい本格ロックを自ら演奏し、一躍ブレイク

結成から10年、1993年に活動休止

 

●デビューのきっかけ

学校の女子が全校生徒の男子150人分の

履歴書をジャニーズ事務所に送った

150人の中で一人前田だけが、書類選考を通過

 

するとジャニー喜多川から直接、電話がかかってきた

「ジャニーだけど。今トシちゃんのコンサートやってるから新宿まで来い」

新宿に行き、コンサートを観た後、

「今度こういうグループを作ろうと思うんだけど、君やる気ないか?」

それが男闘呼組だった

 

「バンドだから、君は楽器 何できる?」

小学校のときピアノを習っていた前田は、キーボード担当となった

当時のバンドブームに乗って結成され

「DAYBREAK」「TIME ZONE」などが大ヒット

 

●デビュー当時、毎日 缶詰にされていた

デビューするにあたって楽器の練習をしなきゃいけないと、

学校が終わるとスタジオに缶詰めにされた

夜の10時~朝の5時まで外からカギがかけられる

「どうしてものときは警備員に電話しろ」

 

●演奏していない

男闘呼組は演奏していない、と噂になっていた

大磯ロングビーチのサマフェスにゲストで出演した際、

男闘呼組の番になると電源が落ちた

一生懸命 演奏しているのに音が出ないから、

やっぱり演奏していないと噂が大きくなった

 

●激太り

デビューしてお金を貰うようになると朝まで飲み明かすことが多くなった

飲むとお腹が空く、空いてる店は焼肉屋しかない

前田は毎日 焼肉屋に通っていた

デビュー時56キロだった体重は、解散時72キロに増加

 

●ギャラ

デビューから歩合で、MAX年収は、3000万円くらい

 

●できちゃった再婚

2006年、吉本興業の芸人:海原ともこと再婚

海原は関西のローカル番組「なるトモ!」にレギュラー出演していた

前田は、月1回のゲスト出演で前の日から大阪に入り、

度々、出演者同士の食事会に参加していた

そこで仕事以外でも面白い海原に魅力を感じるように

プロポーズは「ちょっと俺の子供 作ってくんない?」だった

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