「クリアしたことがある迷路と誰もクリアしたことがない迷路…どっちをクリアしたいかと言われたら、僕は誰もクリアしたことがない迷路に行きたい」
2012年9月、プロ野球志望届提出
日本プロ野球とアメリカのメジャーリーグからオファー
2012年10月、メジャー挑戦表明
「メジャーに行きたいと思ったのもおそらく厳しいと思ったから」
2012年12月、日本ハムに入団
夢よりも手堅さを選んだかに見えたが、
日本ハムが大谷選手の為に用意した育成プラン:二刀流が彼を動かした
「無理だ」「厳しいのでは?」とも言われたが、そこに迷いはなかった」
●二刀流を選んだ大谷翔平のマインド
投げても打っても抜きん出て、勉強もでき素直に大人の言葉に耳を傾ける
甲子園で活躍した菊池雄星に憧れ、岩手県の花巻東高校に進学
菊池選手のようになりたい、そんな動機だった
そんな考え方を、野球部の佐々木監督は良しとしなかった
「菊池に憧れているうちは菊池に及ばない。見えるものや常識にとらわれていてはいけない」
大谷は佐々木監督と誰も成し遂げていない目標を目指す約束をした
「160キロはいける」と佐々木監督は大谷の背中を押した
それは、アマチュア野球史上 最高球速
大谷は読書を通じて、様々な生き方を出会った
中でも惹かれたのは、勝海舟、坂本龍馬、スティーブ・ジョブズ…
古い常識を破り、新しい時代を切り開いた人
「時代を変えてきた人たちの考え方は勉強になる」
高校2年生の冬、監督から卒業までの目標を書くための紙を渡された
大谷には監督と約束した160キロという目標があった
「書いたからには達成しなくてはいけない」
“夏の大会までに163キロ出す!”と大谷は書いた
163キロを目標にして最低でも160キロを出す考えだった
そして高校3年生の夏、160キロに到達した
「160キロを書いていたら、158キロで終わっていたかもしれない…」
と振り返った
大谷は誰もクリアしたことがない迷路を選んだ
これが大谷のその後の人生のマインドを確立した
●平均球速:152.5㎞/h(2014年現在)
メジャーリーグのトップの平均球速が150km/h
リトルリーグ時代から120km/hを出していた
●162km/hを投げるヒミツ
投げた後、踏み込む足を後ろに引く事で、
下半身が速く回り、力が最大限ボールに伝わる
●恵まれた体
身長:193㎝、腕の長さ:85㎝、胸囲:108㎝、股下:93㎝
柔らかい肩関節
●専用の机と椅子を特注
高校時代、足が長すぎる大谷に合う机と椅子がなかったので専用で特注
真面目な生徒だったのに、机に足が収まらず、
大股開いて机の両脇に出すしかなかった
態度が悪いと誤解されてしまうかもしれないと、
工場で鉄の塊で床の設置面にあて底上げして高くしてもらったという
●肩甲骨の柔らかさ
2008年に行われた日立3ツアーズ選手権で石川遼が披露した肩甲骨ストレッチ
中学時代、たまたまその模様をテレビで観ていた大谷は、
これは野球にも役に立つと思い、
石川遼を真似て、練習に練習を重ねて自分のモノにした
●中学2年まで父親とお風呂に入っていた
小~中学時代、コーチと選手の関係だった父は、
他の選手と同様に厳格に接していた
家に戻ると一転、親子水入らずでコミュニケーションをとる時間を大切にしていた
お風呂場は体や筋肉の成長具合を確認するのにもうってつけ
子供時代、両手打ちだった大谷が、左打ちになったのも
お風呂場での父の一言が決め手となった
●高校時代につけていた目標達成用紙
中心に書いているのが、当時大谷が目指した「8球団からドラフト1位を受ける」
その周りには、その夢を実現するためにやるべきことを明記
「体づくり」「コントロール」「キレ」「メンタル」「人間性」「運」「変化球」「スピード160㎞/h」
さらにその周りに8つの要素を叶えるためにやるべきことを明記
「スピード160㎞/h」→「軸で回る」「体幹強化」「可動域」「ライナーキャッチボール」「体重増加」「肩周りの強化」「ピッチングを増やす」「下肢の強化」
「運」→「あいさつ」「ゴミ拾い」「部屋掃除」「道具を大切に扱う」「プラス思考」「応援される人間になる」「本を読む」「審判さんへの態度」
目標を実現させるためにやるべきことを72に細分化し、掲げた
●大好物は、クレープ
試合で活躍した日は、コンビニで大好きなクレープを買うという
ストレス発散には大量の甘いものを摂取する
●試合中にお腹が空くとケータリングのシャウエッセンを食べる
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