柔道金メダリスト:斉藤仁の想いを引き継いだ妻

ロス、ソウル五輪で2大会連続 金メダルを獲得

引退後は指導者として活躍した柔道:斉藤仁

北京、アテネ五輪では男子柔道監督も務め、

リオ五輪での活躍も期待されていた矢先、

2015年1月 突然のがんで この世を去った

一家の大黒柱を失った家族 妻:三恵子さん、長男:一郎、二男:立

一郎くんは、大阪でベスト3にもなった実力者

中学3年生の立くんの練習相手は、高校生

小学6年生のときに全国少年柔道で日本一に

日本柔道界のホープとして期待されている

 

斉藤が現役を引退後、国士舘大学柔道部の監督をしていた

三恵子さんは、元キャビンアテンダント

出会いは、機内 斉藤の一目惚れだった

国民的ヒーローの斉藤を知らないほど、

三恵子さんは柔道には一切興味がなかった

斉藤からの熱烈なアプローチで交際し、結婚

2人の子供に恵まれた

柔道を離れれば一人の子煩悩な父だった

そんな親子関係が劇的に変わったのが、

小学4年生になった長男が、柔道をやりたいと言ってから

その言葉を聞いた日から、自宅でも稽古を行えるように

自宅の和室の畳を柔道用の畳に張り替えた

柔道を志したなら たとえ我が子でも妥協せずに極めてほしい

そんな想いから厳しい指導者としての顔を家庭にも持ち込むように

柔道を知らなかった三恵子さんは、

我が子相手とは思えないほど厳しい斉藤に、

そこまでしないとダメ?と告げたが「今 稽古してるんだ!口を出すな!」

柔道のこととなるといつもとは別人、勝負師の顔になる斉藤

その後、さらに熱を帯びた父の指導にみるみる上達

全国大会でも好成績を残す成長ぶり

 

2014年1月、斉藤は 医師から胆管がんと診断される

すでにリンパ節に転移し、進行度はステージⅣ

手術もできない末期だった

三恵子さんは、初めて打ちひしがれる夫を見た

しかし絶望的ながんとの闘病だが、柔道への炎は消えない

激しい指導ぶりはそのまま時と場所を選ばずに稽古し続けた

残された時間で全てを燃やし尽くすように

 

「あいつらは天才だぞ。オリンピックもひょっとしたらひょっとする」

「本当に?」「でもあいつらには言うなよ。調子に乗るから」

三恵子さんは、がんが発覚する前、こんな会話をしてことを思い出す

斉藤にとって柔道を教えることは、未来を切り開く父の役割を果たすこと

 

斉藤の想いを受け、三恵子さんは

父と息子の稽古風景を映像で撮影すること

柔道を全く知らない三恵子さんが、考えたサポート

映像があれば当人では分からない体の動きを

客観的に確認し、分析できると考えた

少しでも夫と息子の役に立ちたい、そんな思いからカメラを回し続けた

そして2015年1月20日、早すぎる死だった

三恵子さんは今も息子たちの試合ではカメラを回し続け、

在りし日の夫のように時には厳しく我が子に声をかける

「5分でいいから出てきてほしい。そのかわり私の命を5年間 縮めてもらってもいいから「お父さんに会いたいね」私のやってることは正しい?合ってる?って聞きたいですまだ始まったばかりだから。これから先の方が長いのでまだまだ振り向いている場合じゃない」

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