日別アーカイブ: 2018年6月5日

将棋界を唯一 自ら退会した天才棋士:永作芳也

棋士番号139

 

高校を中退し、棋士になるため上京

24歳でプロ棋士に昇格

しかしプロになって8年目、1987年5月 NHK杯トーナメント

16歳の少年棋士:羽生善治と対戦し、敗退

その翌年、自らの意思で将棋連盟を退会した

 

その後、30の職を転々とし、

会社を2つ立ち上げたが、残ったのは借金だけだった

地元茨木に帰った永作は、母親の介護の面倒を見ることに

 

母親の介護を終えた永作は、

2017年、小学生対象の将棋教室を開いた

そのきっかけは、藤井聡太のブレイクだった

 

天才羽生によって将棋から30年離れていた永作は、

天才藤井の活躍をきっかけに再び将棋の世界に戻ってきた

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身長192㎝、体重165㎏という恵まれた体格

入門前は柔道をしており、高校時代には全国制覇

アトランタ五輪の日本代表候補に選出

将来の横綱を約束され、鳴り物入りで相撲界へ

入門4年目で十両優勝

22歳で年収は2000万円

世間は若貴以来の日本人横綱を期待するようになった

しかし若ノ城は、ある理由で突然勝てなくなり31歳で引退した

 

●天才力士:若ノ城は今…糖尿病で生死をさまよい介護士に転身

茶話本舗デイサービス花咲で朝7時~夕方5時まで週5日働いている

現在、8歳年下の妻:真理さん、長男:宋哉くんと3人暮らし

 

当時、身体を作るために食べていたのは、米1升

そんな食生活が原因で、18歳で糖尿病2型を発症

それでも体重を増やすために1升の米を毎日食べ続けた

その裏では1日2回インスリン注射を打ち、糖尿病を抑えていた

そんな状況の中、入門4年目で十両優勝を果たし、前頭6枚目まで昇進

しかし勝てば勝つほど夜の付き合いが増えていく

すると糖尿病が悪化し、足の感覚を失い、全く勝てなくなってしまった

10年以上にわたる糖尿病との戦いの末、31歳で引退した

 

サラリーマンとして第二の人生をスタート

慣れないデスクワークにストレスも重なり、糖尿病が悪化

末期症状となる腎臓が壊れ、全く機能しない事態に

5年後の死亡率は70%

母親の腎臓を移植し、病状は安定した

1日に注射を6本、そして1日に飲む薬の量は、20錠

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