あのニュースの真相」カテゴリーアーカイブ

●男子柔道:古賀颯人のプレッシャー

父親はバルセロナ五輪で金メダルを獲得した古賀稔彦

生まれてすぐ道着を着せられ、道場が遊び場だった

小、中学校で全国大会 優勝

 

神奈川県で育った古賀は、中学で親元を離れ、愛知県に柔道留学

大成高等学校の監督:石田輝也は、父:古賀稔彦の1年後輩で

世田谷学園高校で団体戦で日本一になったメンバー

 

柔道のエリート街道を突き進んできたが、

高校日本一の決勝で阿部一二三に逆転負けした

 

ちなみに一つ下の次男:玄暉も大成高校に入学

 

2015年3月20日、第37回 全国高等学校 柔道選手権大会

決勝戦、激闘の末、反則負けとなった

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●タクシーの番組に出演する「グとハナはおともだち」

東京のタクシー利用者の中で認知度ほぼ100%の番組

関東圏のタクシーの中だけでも観られる

強面のオジサンと可愛い少女がトークを繰り広げる

この2人のやり取りが面白いとネットでも話題に

 

 

54歳のグ・スーヨンの本業はクリエイター

松田龍平主演の映画「THE 焼肉 MOVUE プルコギ」を監督した人物

 

ハナちゃんは神奈川県在住の小学1年生

グさんの友人の娘さんで、どこの芸能事務所にも所属していない素人

平気で大人に対してもマセたことを言うハナちゃんを見て、「グとハナ」を企画

やり取りに台本はなく全てアドリブ

ハナちゃんの父親はCM制作会社の取締役

将来の夢は:フジテレビのアナウンサー

好きな芸能人:志村けん、高橋克実、温水洋一

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爆報!THEフライデーで紹介

1968年、フジテレビに入社したアナウンサーは個性派揃い

誰もが知る国民的アナウンサー:逸見正孝、

スポーツアナとして活躍した松倉悦郎、

レディス4の司会者:小林節子、

そして同期の中で一番エリートと言われた山川建夫

同期の中でも出世が早く、入社3年目で「小川宏ショー」のアシスタントに抜擢

●元フジテレビ:山川建夫アナは今…山奥で世捨て人のような暮らしをしている

千葉県市原市の山奥にある築94年の平屋の賃貸物件

間取りは7K、土間には薪ストーブ、

さらに500坪の土地が付いて家賃は1万円

山川はフジテレビを退社後、27年間 自給自足の生活を送っている

現在は2人の娘を巣立ち、妻も仕事でこの地を離れている

山川は1人で米、野菜、味噌まで作り、

たまに入るナレーションの仕事と年金で暮らしている

 

●「小川宏ショー」山川建夫降板事件

山川は、逸見正孝とライバルだった

1970年、同期の中で最初にチャンスを得たのは山川だった

入社3年目で「小川宏ショー」のアシスタントに抜擢

すると逸見は「何で山川なんですか!僕じゃダメなんですか?」

「これは決定事項なんだよ」

逸見は先に山川が番組を持つことが許せなかった

しかしせっかく得たチャンスに山川は、事件を起こす

それは生放送中の暴言事件

「小川宏ショー」の生放送中、スタジオにゲスト出演していた山口淑子が

ベトナム戦争について語ると山川は

「1週間くらいベトナムを取材してきたからといってベトナム戦争が分かったような口を利かないで下さいよ!」

新人アナの批判的な発言に山口淑子は大激怒

このことは社内でも問題となり山川は責任を取る形で番組を降板することに

すると出演最終日

「今日で番組を降りる事になりました。でもこれは僕の意思ではなく降ろされるんです」

 

この事件がキッカケで山川は表舞台から姿を消した

これによりフジテレビのアナウンス部が解体された

アナウンサーたちは報道、バラエティ、スポーツ、

情報などセクションの専属に配置変え

なかでも逸見はバラエティ志望だった本人の意向に反し報道局専属に

以降、2人は一度も口を利かないほど関係が悪化

山川はそのままフジテレビを退社した

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1991年11月13日、人気絶頂だった宮沢りえ(当時17歳)が

ヌード写真集「Santa Fe」を販売

 

発行部数は155万部、芸能人が出す写真集の発行部数No.1

 

撮影したのは、篠山紀信

彼は美人と会うと「今度ヌードいつ撮る?」と言うのが口癖だった

 

●宮沢りえの「Santa Fe」撮影秘話

 

当時、彼女のマネージングしていたのは、宮沢りえの母親:りえママ

 

篠山とりえママが食事をしていた時、

何気なく「りえちゃん ヌードいつ撮るの?」

当然 りえママは、何言ってるの?と否定すると思いきや、

「撮るんだったら連休明けの休みね」と回答、篠山が一番 驚いたという

 

りえママは、宮沢りえがスター過ぎて

次の展開をどうすればいいのか?悩んでいた

誰もやった事が無い 世界が驚く事をしたい というタイミングだった

そんな時に、篠山のリップサービスがあったので、ビビッと快諾した

 

このやり取りを、宮沢りえは一切聞いていなかったという

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ビートたけしのTVタックルに出演した長嶋一茂が落書き騒動について語った

 

●騒動は江角のブログから始まった

“2014年7月30日 もう四年以上前かな。。。私もいろいろな噂話を流されたことがあります。

お弁当を作らずメロンパンをポンと持たせている、、、とか叫び

先生にいわゆるチクリをしてる、、、とか

なかなか想像力豊かな内容で今は笑えますけど、その時は露骨に無視をされたり、お茶会やランチ会をその噂を広めるために開かれたりとか

「違います!」と言いたいのを我慢して耐えました。

子どもと一緒にいる時に無視をされたり、嫌味を言われたり、、、そんなときも必死で耐えました。”云々

 

●それに対し、女性セブンでママ友たちが江角を批判

“8月28日号「一体どういうつもりで、彼女は“あんなこと”を書いたのか…。その真意はわかりませんが、ただひとつだけ、はっきりと言いたい。書かれた内容は全てウソです」

「みなさん、しゃべりたいことがたくさんあるんです。でも“本当のこと”を言うと、あの人に何をされるか、そして子供の学校生活にどんな影響が出るのか、それが心配なんです…」

「彼女が仮に自分がいじめられていたと感じているとすれば、それは幼稚園の年長さんの3学期以降、彼女が数々の同級生へしてきたことがバレたため」

「いじめがあったとするならば、それはむしろ彼女自身がされていたことであり、彼女は被害者というよりも加害者ではないか」

「彼女はいつも上から目線で、高圧的な態度だったんです。基本的に人の意見は一切聞かず、自分の正義や主張を押し通すんです。」”云々

 

●週刊文春で江角のマネージャーが一茂宅に落書きしたと報道

“9月4日号 小学生の子どもを持つ女優:江角マキコが、

男性マネジャーに命じ、都内にある長嶋一茂邸の外壁に

「バカ息子」などと落書きをさせていたことがわかった

A氏(元マネジャー)は今年に入り、周囲に「今だから話せること」として、

一茂邸に落書きをした一件を打ち明け、後悔の念に苛まれていると洩らしていた。

 

●一茂が語る落書き騒動

落書きされた2012年12月30日、長嶋一茂は日本に居なかった

マネージャーから、自宅が落書きされていると連絡が入り、

妻にバレないようにマネージャーを通し、業者に依頼してすぐに消した

報道まで妻は、その事実を知らなかった

知った妻は「何で隠してたの!」と激怒

当初、「バカ息子と書かれていますよ」とマネージャーから連絡が入った時、

一茂は、明石家さんまが書いたイタズラでは?と疑った

一茂を「バカ息子」と言うのは さんまだけだったから

 

一茂側は、都内の自宅落書き被害に遭ったとされる12年12月末、

警視庁の所轄署に被害届を提出したという。

警視庁は同誌発売後から今月初めにかけ、

元マネジャーを事情聴取した。男性は落書きしたことを認めたという。

ただ、江角からの依頼有無について話したか、

江角の聴取が行われたかなどは不明

 

これに対し、江角がしばらくの沈黙を破り、ブログで説明した

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