あの芸能人の過去」カテゴリーアーカイブ

●小学生時代 伝説級に女子からモテモテ

バレンタインチョコは、最高64個

食べきれなかったので、フライパンでチョコを溶かして、一つのチョコにして冷凍庫で保管

 

●両足捻挫で車いす

小中の同級生:木崎さんによると

紫耀は負けず嫌いで学校で階段を何段か飛ばして下りる階段飛ばしゲームで競っていたところ、最終的に踊り場から踊り場に飛び降りたが、失敗し片足重度の捻挫

次の日、松葉杖で登校してきた紫耀は、昨日の失敗が悔しかったのか、怪我していない方の足でもう一度、踊り場から踊り場に飛び降りたが、失敗し、両足捻挫となった

 

●バスケットボール野球で血まみれ

後援で野球をしていたら、野球ボールよりバスケットボールの方が面白いとバットw手に打席へ、オエッチャーガ投げたバスケットボールの勢いに負け、バットが顔に跳ね返り、流血血まみれ「ねんでバットが跳ね返るんだ!」と怒って帰った

 

●配達トラックに飛び乗り

大親友の松本君によると、給食の後、牛乳瓶を返し忘れた紫耀は、その瓶を何とか返却しようと教室の真下に停まっていた牛乳配達トラックの屋根に2階から飛び乗った。すぐにトラックが発車。信号で停まるまで屋根にへばりつき、1時間後学校に戻ってきた

 

●ぼっちが耐えられない

大親友の松本君によると、紫耀は、1人で外食したことが人生で一度もない

ご飯だけなく買い物やカフェも無理。自動車教習所も1人で通えず、僕は全然関係ないのに名古屋から東京に行ってついていってました

 

●1日中トイレで過ごす

大親友の松本君によると、紫耀の家によく遊びに行くんですが、家の中の行動が意味分からない。紫耀は休みの日に1日中トイレの中にいることがある。トイレの中でご飯を食べたり、色んな物を持ち込んで出てこない

紫耀のトイレには、ストーブが2台、オーブントースターも完備

松本君いわく、紫耀が、トイレにいないので探すと、キッチンでガスコンロの火をずっと眺めている。

 

●遊んでいるだけでバック宙に成功

 

●うどんは一切噛まないで丸飲み

 

●苦手な食べ物は、しいたけで、大好物は ぬれおかき

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1977年、大阪府豊中市に産まれた鈴木紗理奈

 

実家の稼業は、父が一代で築いた建設会社

規模は、社員50人

また趣味が高じて割烹料理店を経営

 

建設業をメインに手広く事業を展開

芦屋出身のお嬢様だった母は、警備会社と大島紬店を経営

ちなみに祖父は、東京大学卒の博士

 

実家は、8LDKの豪邸

中庭が見えるリビングには、ビリヤード台

定番の夕食は、父が経営する割烹料理店で、週一のふぐ

さらに父の趣味が高じて、ふぐのために調理師免許を取得

自宅でも ふぐが食べられるように

レストランといえば、ファミレスではなくホテル

寿司が回るのは、知らなかった

即席ラーメンは、お手伝いさんが作ってくれた

 

習い事は、日舞、ピアノ、エレクトーン

ドラマ「スワンの涙」に憧れてシンクロナイズドスイミング

 

英会話が得意になったのは、

実家に英語圏の外国人のホームスティが計12人

 

紗理奈は芸名

本名は、華奈子

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1979年、宮崎県のド田舎、佐土原町に双子の姉として誕生

実家の目の前は田んぼ、裏は山、父の両親は農家

小さい頃は、稲刈りを手伝っていた

 

●父の仕事は、ヨウ素の製造する化学工場の工場長

九州男児の父は、しつけに厳格

約束を守らない、陰口を言うと怒られた

父が帰ってくるまで夕食に手を付けられない

 

●習い事を辞める時は、妹と一緒

日本舞踊の先生だった祖母に、

気づいた時から習い始め、高校生くらいまで続けていた

 

●小学校から帰宅すると

家のルールで腕立て、腹筋、背筋、スクワット、鉄アレイを200回

仕上げに家の周りをうさぎ跳びで10周してからでないと遊びに行っていた

水泳の最初のメニューが、20分で100mクロール10本から始まる

サボりは絶対NG、疑わず守っていた

小学6年生の時には、宮崎県大会の50m平泳ぎで優勝

中学では、姉妹揃ってバスケ部に入部

性格は、友里が活発、妹の英里がおっとりで、妹がフッた男子から告白されたことも

先に告白されるのは、必ず妹

受験ストレスで1日5食のドカ食いで8㎏の激太り

 

●高校卒業後は、福岡にある九州産業大学芸術学部に進学し、女子寮で生活

妹は看護師を目指し、千葉に

 

●スカウト

友人とデパートで買い物していたら、優しいそうなお婆さんから

「あんた目がキレイね。こんな仕事興味ない?」とスカウトされモデルに

地方のチラシモデルは、超過酷

鹿児島ロケは日帰り、ヘアメイクも荷物運びも一人で

撮影用の靴は、用意されないので、30足を持参していた

 

東京のモデル事務所に、自ら売り込み、上京

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●八木亜希子の亜希子の由来は、長嶋茂雄の妻から

末っ子の亜希子が生まれたとき、男子の名前しか考えておらず

新聞に載っていた長嶋茂雄の妻の亜希子さんの名前から、

「この名前がいい」と父が亜希子と名付けた

そのエピソードを日テレのアナウンス試験で披露し注目されたが、

「父は阪神ファンなんです」と付け加えたところ、試験に落ちたという

 

●バブル世代と言われているが…

バブル真っ最中にフジテレビに就職したが、

当初は、バブルを味わった記憶がない

 

バブルを知ったのは、フジテレビに入ってから10年後

上司に連れて行ってもらったのは、

隣の席から郷ひろみの声が聞こえてくるフランス料理店

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2014年、週刊ポストがドライバーとして研修中の生田を掲載

すぐに注目を集め、グラビアデビュー、CM、ドラマに出演

 

タクシードライバーになった理由が、人と交わらないから

他人と交わるのが嫌いで気を遣わない友人は、一人もいない

客がいない1人のドライブ中が至福の時

職務中の食事は、ひとり吉野家

 

●彼氏が運転下手だと別れる

自分より下手だと魅力を感じない

彼氏の運転で一番見るのは、アクセルとブレーキ

優しさを感じないとNG

 

●立教大学出身を詐称

実際に卒業したのは、立教大学ではなく文教大学

最初は、立教大学卒がネットニュースに掲載された

あっと思ったが、否定しなかった

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