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●氷川きよしの芸名は、ビートたけしが命名

氷川の事務所の社長とビートたけしは

古くからの知り合いで、芸名を付けてもらった

氷川きよしのの他には、氷川きよしろう、

天晴(あっぱれ)きよしなどの候補が挙がった

 

●趣味は、植木

桃やミカンなど実のなる木を鉢で育てている

 

●歌の才能は、父譲り

父の職業は、タクシーの運転手

子供の頃から週一で父とカラオケに行き、

5歳の頃には、赤いスイートピーを歌っていた

 

●小5の頃の悩みは、太っていたこと

常に何かを、やたら食べていた

見た目は、子供の頃の貴乃花

当時の大好物は、ケーキだった

中1になると二重あごに、あだ名は デブきよしだった

そして寒天ダイエットに挑戦し、減量に成功。そして

 

●高1で人生最大にモテ期に

バレンタインは、チョコ10個以上

告白されたら嬉しくて断れずに、必ず交際していた

 

●高校で芸能部に入部

演歌しか教えられない顧問の先生のせいで、演歌を歌うように

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俳優:津田寛治のデビューのきっかけは、ビートたけしの粋な計らい

 

●デビューは北野武監督の「ソナチネ」

喫茶店のウェイターのバイトをしていた25歳の頃、

坊主頭じゃない役はやりたくないと常に坊主にしていた

働いていた喫茶店には、ビートたけしが打ち合わせでよく訪れていた

 

津田は隙を見て、自分のプロフィールと手紙を渡した

たけしは「分かりました」と綺麗に折りたたんでポッケに入れてくれた

オーディションだけでも呼んでもらいたかったが、実現しなかった

 

しばらくして たけしは、クランクイン前日に喫茶店に訪れた

スタッフと打ち合わせしていた たけしは急に津田の方に振り向き、

「お兄ちゃん出番だよ」と手招き

オーダーかな?と思って伝票を持っていくと

「この兄ちゃん、ウェイターやってるんだけど こんな派手な服を着てウェイターやってんだよ。だから俺がな「ウェイターならウェイターらしいカッコして働け」と一言いうから。この兄ちゃんアップで「すみません」というシーン増やすから」

とスタッフに説明

 

●カラオケボックス

マネージャーによると、津田は台本をカラオケボックスで覚えている

自分で相手のセリフを読み、MP3プレーヤーに吹き込む

自分の出番になると再生を止めて、セリフを読むスタイル

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●ビートたけしの名曲「♪浅草キッド」

歌の舞台となった1970年代、多くの仲間たちが芸人を辞めていった

 

その一人が、フランス座の後輩芸人カーキー

たけしとコンビを組んだカーキーは、たけしの才能に打ち負かされ、心を病んだ

コンビは解散し、カーキーは自宅の2階から飛び降りた

一命はとりとめたものの芸人の道を諦めた

 

「たけちゃん、オレ芸人辞めるわ。嫁と子供もいるし」

「そんなこと言うなよ」「芸人で売れるのが夢だったけど もう諦めるよ」

「たけちゃんは浅草を代表する芸人だ。俺らの分も頑張ってくれよ」

胸が締め付けられる思いを「♪浅草キッド」に込めた

歌い出しにあるお前は、ビートきよしではなく、カーキーである

たけしは多くの人の夢を背負っている

 

●1983年に放送が始まった「スーパーJOCKEY」

弟子たちが全力で体を張り、笑いをとる

その収録でのこと、セットから釘が飛び出しているのを発見

「おい!プロデューサーとディレクター 全員集めろ!」

普段 怒らない たけしが叫んだ

「これは何だ!危ねぇじゃねぇか!これでうちの若いもんが怪我したらどうしてくれるんだ!」

「すみません」

「こいつらはな、特別芸があるワケでもないし体張るしかないんだよ。楽屋の弁当がマズイとか そんなのどうだっていい!怪我させたら仕事できねぇんだ!それだけは絶対許さねぇからな!」

後にも先にも たけしがスタッフにキレたのは、この時だけ

そしてガダルカナル・タカに こう言った

「俺があいつらに気を遣ってやれるのはさ。このくらいしかないからね」

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父は名司会者の関口宏、母は元歌手:西田佐知子

24歳の時、役者デビューを果たし、その後も数多くのドラマに出演

住んでいるのは静岡県伊東市にある巨泉マンション

番組の企画会議をしようと大橋巨泉に購入を薦められ、

関口宏、ビートたけし、石坂浩二らが購入したのだが、

巨泉がカナダに行ってしまってから誰も寄りつかなくなり、

現在では、マンションに関口一人が住んでいる

 

20畳を越えるリビングには、9人がけのソファー、

大きなテーブルなどがあり悠々自適な暮らしぶり

食事は近所の喫茶店で済ましている

仕事は、たまに鉄道縦断シリーズのロケ、鉄道がらみの講演会を行うのみ

月の半分以上はのんびりと過ごす

 

●見た目も声も本物そっくりにモノマネでCDリリース

島倉千代子のモノマネ「せ間倉知代子」

B.B.キングのモノマネ「せッキー・キング」など

全13人のモノマネでCDをリリースしてきた

歌い方の癖を意識し録音、パソコンに取り込み音質を調整

限りなく本物に近付ける

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ワイドナショーでビートたけしが自身のライバルやトラウマについて語った

 

●バイク事故の原因は うつ病

1994年のバイク事故を「完全にうつだったね」と振り返った

「今も夢を見ているんじゃないか。目覚めたら病室かもしれないと思うことがある」

当時は「完全にうつだった。なんでバイク買ったか分からないもん」と振り返った

 

●全くウケなかったトラウマ

客が10人しかいないライブでスベったのが、

「あん時 ウケなかった」と未だにトラウマになってる

立川談春の独演会の前座に立川梅春として出演

チケットが取れない事で有名な談春のプレミア独演会は、

たけしにとって完全なアウェー

「野ざらしを披露したが、はじめの笑いをとるまでは焦った」という

250人くらいの客なのに楽屋でウロウロ、

緊張しすぎて付き人も近寄れないほどだった

 

●これからはボケ防止に落語の時代

「漫才は出来ないじゃん?瞬発力が無くなっているから」

 

●ビートたけしにとっての邪魔な存在

当時 ダウンタウン松本にとってビック3は、邪魔な存在でしかなかったが、

いまでは 居てくれるから頑張れる存在に変わった

当時 ビートたけしは「いかりや長介と萩本欽一を引きずりおろす しか考えていなかった」

「萩本欽一もドリフも好きだが、出て行くためには この牙城を崩さないとひょうきん族はあり得ない、真裏だったから。コント55号も好きだったが、萩本さんは いつからか良い人になってきた。俺の正には合わない。萩本さんの番組がずっと続くようだったらお笑いの危機だと思った。俺にとっての、もっと毒のあることが出来なくなると思ったからこの2組だけはどうにかしないといけない、と思っていた」という

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