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●元プロ野球選手:山元昌は、星野監督の鉄拳制裁で降板

中日ドラゴンズ 星野仙一の第一次政権時代、

回を投げ終わると星野に「ベンチ裏に来い!」と呼び出され、

鉄拳制裁で顔が腫れすぎた理由で降板したことがあるという

 

「5発目までは数えていたが、その後は 覚えていない。途中から温かくなるだけ」

 

星野の怒りは、巨人の井上真二 選手に2本ホームランを打たれたから

「お前!名前も知らん奴にホームラン打たれやがって!」

 

鉄拳制裁が終わってキャッチボールを始めると

ピッチングコーチがやってきて

「お前どうしたその顔は?口から血が出てるぞ。その顔で投げるのか、代われ」と降板した

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アウト×デラックスで紹介

●声出しだけで年収3600万円を稼いだ元プロ野球選手:小田幸平

 

1997年、巨人軍にドラフト4位で入団

落合監督に引っ張られ中日ドラゴンズに移籍

 

常に控えキャッチャーでほとんど試合には出ていないにもかかわらず

プロ野球の平均選手寿命が9年と言われる中、小田は17年間 現役で活躍

 

ムードメーカーとして選手や監督、ファンに愛され続け、

結果、2007年には年俸3600万円を契約

 

2004年、清原に「俺より髪が長いな」と言われ、スキンヘッドに

 

さらに清原の凄まじい指でカンチョーされ流血、4回 病院に行った

 

スタメン出場の直前、スリーパーホールドをかけられ落とされた

 

現役実働年数:17年(うち補欠17年)

通算打率:1割9分7厘 通算本塁打:2本

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中日ドラゴンズ:又吉克樹がサイドスローに変えたワケ

武器は、サイドスローから繰り出すテンポ良いピッチング

たとえ負けていてもテンポよいピッチングに

味方打線が勢いづき、逆転勝利する事が多い

そんな又吉がピッチャーになったのは、プロとしては遅い高校3年生の時

 

沖縄県立 西原高校 入学当時、

身長160㎝以下、ポジションは内野手の補欠

 

高校3年生の時、転機を迎える

たまたま投手がみな怪我をして「ピッチャーしたことある?」と言われた

経験はなかったが、試合に出たい一心でピッチャーに転向

そんな又吉に与えられた仕事は、バッティングピッチャー

多い時には 300球以上投げることも

 

上手投げだった又吉の肩が上がらなくなり、仕方なくサイドスローに変えた

卒業式の時、又吉は「俺はプロに行く」という言葉を残した

ピッチャーに転校したばかりで無謀ともいえるプロ宣言だった

 

それからサイドスローを磨きに磨き、6年後 プロ入りを果たす

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成功の遺伝子で紹介されたプロ野球 最年長投手:山本昌

 

2014年、プロ野球の最年長記録を更新

そんな山本にも引退を覚悟した瞬間があった

 

2011年、右足の腓骨筋腱を脱臼の重症

この時、すでに45歳だった山本は、「辞めた方がいいな」と引退を考えた

 

数日後、偶然 ある記事を目にする

「あっ!この人 俺と同じケガから復帰している!」

Jリーグ 名古屋グランパスの楢﨑正剛が同じケガを手術によって克服したと書かれていた

面識はなかったが、彼の話が聞きたい、と

山本は知人に電話番号を聞いて連絡した

「中日ドラゴンズの山本と申します」「えっ!何でしょう?」

「足首の手術から復帰した記事を拝見しまして…」

「治したいなら絶対 手術した方がいいですよ。よかったら病院紹介します」

電話を切った時、山本の心は決まった

 

電話のわずか3日後、楢崎に紹介してもらった病院で手術に踏み切った

そのおかげで2014年、49歳で勝利投手となり記録を達成した

 

突然の電話を受けた時、楢崎は旅行先の沖縄にいたという

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