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●八木亜希子の亜希子の由来は、長嶋茂雄の妻から

末っ子の亜希子が生まれたとき、男子の名前しか考えておらず

新聞に載っていた長嶋茂雄の妻の亜希子さんの名前から、

「この名前がいい」と父が亜希子と名付けた

そのエピソードを日テレのアナウンス試験で披露し注目されたが、

「父は阪神ファンなんです」と付け加えたところ、試験に落ちたという

 

●バブル世代と言われているが…

バブル真っ最中にフジテレビに就職したが、

当初は、バブルを味わった記憶がない

 

バブルを知ったのは、フジテレビに入ってから10年後

上司に連れて行ってもらったのは、

隣の席から郷ひろみの声が聞こえてくるフランス料理店

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神田愛花や鈴木奈穂子などと一緒にNHKで

アナウンサーとして働いていた梶浦明日香

 

アナウンサー時代に様々な伝統工芸の職人を取材した際、

ほとんどの職人に後継者がいない現実を知り、

2009年、自らNHKを退職し、職人の道に進んだ

 

江戸時代の建物が残る関宿あたりにある伊勢根付職人に弟子入り

 

根付とは着物の帯に印籠や巾着を下げるための留め具

 

原材料となる木から自分で選び、約3か月で1つの作品を完成させる

高い物で一つ40万円

その完成度の高さからイギリスの展示会で大賞を受賞している

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三姉妹の次女として横浜で生まれた

高2まで成績が悪かったが、一念発起して猛勉強

見事、慶應義塾大学に進学

 

●大学3年生まで金融業界志望だった

12歳年上の姉が、金融で海外で

バリバリ働いていたのを見て憧れていたから

ミス慶應のファイナリストに選ばれたことで意識が変わり、

中高大額まで一緒の先輩が、アナウンサーになり

「さっかくミスコン出たならアナウンサー受けてみたら」

と言われ、アナウンサーを目指すことに

 

●毎朝ZIP!見てたからという理由で、受けたのは、日本テレビのみ

 

中学2年生の時、曲をダウンロードしすぎた高額請求にを返すために、

スターダスト事務所に所属し、タレントとして活動、

赤坂ブリッツで歌とダンス披露したことも

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進学時、悩んだ末、学業に専念するため

乃木坂46を卒業し、早稲田大学に進学

 

●乃木坂46に入ったきっかけ

母親がの乃木坂46のオーディションをネットで見つけて

「よかったら応募してみない?」と促された

ダンスは得意だが、歌は下手

オーディションの時、歌が下手すぎて

秋元康にサビいく前に途中で止められた

 

●元々ダンサー志望だった

幼稚園でバレエを始めて、ダンスの世界に興味を持つ

 

小学6年生の時、社交ダンスを始めて3年で日本代表として

ロンドンで行われたジュニア世界大会に出場し、入賞、

プロのダンサーを目指していた

 

●幼い頃は週1で水族館に通うほどハマっていた

中でも深海魚のデメギニスが大好き

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2017年、15年勤めたテレビ東京を退社し、フリーアナに

 

1978年、兵庫県神戸市須磨区に生まれる

父も母も東京生まれなので関西弁が苦手

父は婦人靴メーカーの社長

 

●教育に厳しい父のスパルタ教育

溺れた時の感覚を味わえとプールに投げ落とされる

箸の持ち方がおかしいと食事中でも箸で頭を叩かれた

鼻をすするだけで怒られる

「サッカーボールを蹴るから体のどこでもいいから止めろ」と

弟と一緒に家の前に立たされ、父が蹴るボールを止める訓練を受けていた

高校の時には、ポケベルを割られた

弟は強制的にアメフトを始めさせられ、結果 大学でアメフト日本一に

 

●幼少期は、野生児

山を「別世界」と名付けていた

山で土を掘り階段を作り、竹を組み合わせて家を作って遊んでいた

 

●小学校時代のあだ名は、「両津勘吉」

眉毛がびっちり繋がっていたため、こち亀の両津勘吉と呼ばれるように

しかし眉間にパワーが宿っていると思っていた大橋は、頑なに剃らなかった

他にも「かもめ」とも呼ばれていた

ランドセルの色が紺だったために「男女」とも

 

負けん気が強くよく男の子と喧嘩をしていた

1991年、女医を目指し、毎日8時間の猛勉強

関西でも指折りの進学校 神戸女学院に合格

入学後すぐ勉強についていけず、ディズニーのキャストになる夢に変更

 

●中学3年生で初めて交際

灘校の男子と文化祭で出会い、告白されて交際

お互いに単語テストをFAXでやり合ったり

イノシシが出る公園でデートをしていた

 

●アナウンサーになりたくて一浪の末、上智大学法学部に進学

アナウンサーになるために自らミスコンに応募

 

●2001年テレビ東京のアナウンサー試験に合格

面接で「皆が12に合わせてくれます 笑」と言った

 

●2015年、37歳の時、10歳年下のADのテレビ東京社員と結婚

ロケの荷物持ちだったAD

そのロケをきっかけに仲良くなり、

母性をこじらせ、母性の持って行き場を探していた大橋は、

母親のように面倒を見ていた

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