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●元タカラジェンヌ:山岡三子は今…名古屋短期大学の客員教授に転身

1985年、71期生として宝塚歌劇団に入団

娘役として活躍した山岡三子は、入団からわずか3年で退団

夕方のニュース番組のキャスターに転身

この番組以降、「ズームイン!!サタデー」で羽鳥アナのアシスタントを担当

 

宝塚時代から独学で英語を勉強

退団後、35歳で学習院大学 英語英米文化学科に合格

39歳で立教大学大学院に進学し、修士号を取得

 

2004年に医師:まー君と結婚

2011年、名古屋短期大学の客員教授に就任

 

●山岡三子の実家は、愛媛にある600年の歴史を誇る蓮福寺

3階から7階までは納骨堂になっているビル

屋上からは松山城が見える一等地

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小さい頃から将来の夢はタカラジェンヌ

入団12年目で念願の男役トップスターに

しかしトップになると基本的に退団しなくてはいけない

ファンはトップのまま辞めてほしいもの

そろそろ時期が来たと思ったら、お先が真っ暗になった

これまで宝塚が人生のすべてだった

芸能界には興味がなかった麻路は、

結婚して主婦になりたいと思った

 

現役のトップスターがこっそりお見合い

その1人目のお見合い相手が、

当時 仕事で日本に住んでいたロベルトさんだった

しかし2人きりで会うことはなく半年後、ロベルトさんはブラジルへ帰国

それから地球の裏側と遠距離状態で2年半

 

1998年、宝塚を退団

退団わずか1週間後、ブラジルへ渡り、すぐ結婚し そのまま主婦に

 

現在、ブラジル サンパウロにある豪邸に住む

広いリビングに店並のカウンター、もちろん庭にはプール

地上3階建ての7LDK

夫は、石井ロベルト竜馬

日本人の父がブラジルで宝石商を営む日系2世

ブラジルの一流企業の相談役をしているエリート

一人息子ヴィッキー君はアメリカに留学中

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●元タカラジェンヌ:和央ようかは今…世界的作曲家と結婚しセレブ妻に転身

 

宝塚歌劇団のトップスターを6年務めた和央ようか

 

2014年3月、ホイットニー・ヒューストンの曲を手掛け、

全米1位を獲得した世界的作曲家:フランク・ワイルドボーンと結婚

 

結婚後、アメリカの移住し誰もがうらやむセレブの仲間入りを果たした

 

2人の出会いは、和央の宝塚歌劇団の退団公演を

フランクが全曲作曲したのがきっかけ

 

料理が下手な和央が作れるのは、焼きそばくらい

家事はせず、食事は ほぼ外食、掃除をするのは掃除業者が来る日以外

 

現在、ニューヨークで暮らしている

ニューヨークの外れに、もうひとつの牧場がある家を所有

 

フランス、イギリス、オーストラリアなど夫の仕事の付き添いで世界を渡る

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2歳年上の姉:音花ゆりには、子供の頃から夢があった

それはタカラジェンヌ

そのためクラシックバレエや日本舞踊を習いはじめ、

人生のすべてを宝塚入団に捧げた

相武は宝塚には全く興味がなかったが、

姉:ゆりの夢を手助けしようとした

 

2001年、姉は宝塚に入団、夢を実現させた

そんな姉は、歌唱力が優れた人しか

選ばれない花形スター:エトワールを何度も演じた

2015年、そんな姉が14年在籍した宝塚歌劇団を退団することに

 

2015年5月、父、母、相武の3人でラスト公演を観に

舞台で演じる姉の姿が目に入ると、

相武の目に自然と涙があふれてきた

そんな時、会場中に響き渡る嗚咽が聞こえてきた、父だった

その豪快な泣き姿は舞台上からも分かるほど

父が泣きすぎて相武の涙も引いてしまったという

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●タレントに転身した大渕愛子の元秘書:火宮樹里

 

弁護士:大渕愛子を献身的に支えてきた元秘書:火宮樹里

実は火宮は、10年間、娘役として活躍した元タカラジェンヌ

 

宝塚を辞めた火宮に大渕が秘書としてオファー

宝塚の厳しい訓練を頑張りぬいた責任感、

悩みを抱えた人を明るい気持ちにできる華やかさがスカウトの理由

 

大渕のタレント活動の際には

マネージャーとし撮影現場にまで同行

 

しかし大渕の華やかな活躍を目の当たりにした火宮は、

「楽しそうだな、私も出たい」と表舞台への欲求が限界に達し、

大渕の出産前日に法律事務所を退職した

 

今後は、美夢ひまりの芸名で活動をするという

 

2013年に結婚した夫は、表参道にあるフレンチレストランのオーナーシェフ

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