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「とんでもないレベルの人生を生きてきたな、という意味で凄い人だと。想像を絶する日本人」

 

ビートルズ ジョン・レノンの妻:オノ・ヨーコ

夫:内田裕也の紹介されてから、

樹木希林とオノ・ヨーコは40年以上続く親友

「実際にヨーコさんに出会って知るにつれて人間としても女性としても まりにレベルが違う」

1960年代後半、ジョン・レノンの妻として世界一有名な日本人となった

 

出身は、日本を代表する名家

曾祖父は現在のみずほ銀行と明治安田生命保険のルーツを作った安田財閥の創始者:安田善次郎

戦前の時代、庶民には考えられない生活を送っていた

だがその家庭環境に甘んじることはなかった

20代でアメリカに渡ったオノ・ヨーコは、

アルバイトで生計を立て、27歳で芸術家の道へ

1969年、36歳のときジョン・レノンと運命的な出会いを果たし結婚

相手は世界一のスーパースター、

ファンやマスコミからのバッシングがオノ・ヨーコに集中した

2人が結婚した翌年、ザ・ビートルズが解散

怒りの矛先は、またしてもオノ・ヨーコに向けられた

ジョンの音楽性、人間性を変え、

メンバーとの軋轢を生んだと世界中から非難が殺到

「器が出来上がっちゃってるから(バッシングにも)動じない」

オノ・ヨーコは世の中からのバッシングをものともせず、

世間をあざ笑うかのように反戦活動をやり続けた

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●本木雅弘と内田也哉子の出会い

 

出会いのきっかけは、映画「魚からダイオキシン!!」の出演

内田裕也が主演 企画 脚本を手掛け、宇崎竜童がメガホンをとった

この撮影中、本木は内田裕也に食事に誘われた

その日は、父の日の翌日

「一緒に住んではいないけどもお父さんに会ってきなさい」と

樹木希林が娘の背中を押して無理やり行かせた食事会

その席で2人は初めて出会った

当時、本木は25歳、内田也哉子は15歳だった

これを機に、お互いの話し相手となった

 

●プロポーズ

その2年後、「小さい座敷があるからそこで話しておいで」

と樹木希林に促されて、

関西料理 川奈の座敷で当時、27歳の本木雅弘は、

内田裕也と樹木希林の娘:当時17歳の内田也哉子にプロポーズした

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