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日本人の父とフィリピン人の母の下に生まれ、6歳までフィリピンで育った

●ざわちんの知られざる過去

1982年8月16日、群馬県太田市

日本人の父とフィリピン人の母の下に生まれた ざわちん こと 小澤かおり

日本で生まれた彼女だが、両親の仕事の都合で親戚に預けられ、

3歳から6歳までフィリピンで生活した

祖母が布のデザインの為に描いていた絵

それが後に ものまねメイクの原点となる絵との出会い

 

6歳になると両親と暮らすため再び日本へ

通い始めた小学校では、国籍や肌の色が違うだけでいじめの対象に

さらに日本語が上手く話せないのをいいことに、

罪をなすりつけられることが何度もあった

やがて いじめに耐えきれなくなり仮病を使って学校を休むように

いじめられる原因となった自分の顔や肌の色にコンプレックスを抱くように

 

次第に家に閉じこもるようになった

そのほとんどの時間をフィリピンで祖母に習った絵を描いて過ごしていた

そこにはモデルとなったキャラクター

セーラームーンとそっくりの絵が描かれていた

相手そっくりに真似る技術は、この時に生まれた

 

そんなある日、小学3年生のざわちんは、メイクする母親を目撃する

自分もメイクで変わりたい、そう思うようになっていた

そんな気持ちに気付いていた母は、ざわちんにメイクをし始めた

鏡に映ったのは日本人のように見える自分の姿

ざわちんにとってメイクは魔法のような存在に思えた

その日以来、月500円のお小遣いを全てメイク用品に費やした

母親に隠れてこっそりメイクをするように

 

いじめられっ子から人気者になるために憧れの子を徹底的に研究した

何でもコピーできたという ざわちん

頭の良い子のマネをして成績まで上がったという

 

そんな彼女でもどうしても真似だけでは解決できない事があった

大きな八重歯、さすがに歯まではコピーできなかった

そこで彼女は八重歯を隠すためにマスクを付けて生活するように

 

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●天国へ逝った双子の姉

ざわちんには、「かおる」という名の双子の姉がいた

 

23年前、ざわちんの母:小澤アロナは双子を出産

「かおり」「かおる」と名付けた

 

しかし姉の健康状態に問題が発覚

緊急治療を行うため2人の娘と母は離ればなれに

1週間後、母は娘たちをその手に抱く事がないまま退院

 

そして10日後、ざわちんも退院し、ほっと胸を撫でおろした

「かおるはどうしたの?」と母が聞くと「かおるは泣くなってしまった」

姉:かおるは出産直後 心臓の病気で亡くなってしまったという

 

母は泣き崩れた

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●母に裏切られ続けた旭道山の壮絶な過去

1964年、東京の世田谷に生まれる

その3年後に弟:寿和も誕生

旭道山が3歳の時に、一家は母の実家である鹿児島県徳之島へ移住

未熟児で生まれた旭道山は、黄疸が強く交換輸血を3回も行うほど体が弱かった

移住は、そんな旭道山の健康を気遣った母の想いからだった

一家4人の新生活が始まるはずだった…が、ある日 突然 父が失踪

母は息子に強くなってほしいと、

「お母さんと約束してほしい事があるの」「約束?」

「これからは大変なことがたくさんあるかもしれないけど、お父さんがいたらなぁ とか、お父さんがいればなぁ、と“たら・れば”なんていう言い訳は絶対に言わないでほしい。それと絶対に泣かないこと。辛いことや悲しいことがあっても絶対 泣いちゃダメ。泣いて後悔する人生を歩んでほしくない。分かった」

母の為に強くありたい…旭道山は母との約束を守り抜こうと心に誓った

そして、母は子供を育てるためにスナックで働き始めた

旭道山は幼い弟の面倒を見ながら孤独な夜を過ごしていた

旭道山が学校に行く時間、母は寝ており、

学校から帰ってくると母は店で働いている

食事は、餃子かハンバーグなど冷凍食品をおかずに自炊

洗濯、掃除、6歳の旭道山が3歳の弟の父親代わりに

そして、3年後、母も姿を消した…

少年の道しるべは母の言葉しかなかった…

弟の世話をしながら母の帰りを信じ、待ち続けた

1週間後、帰ってきた母は小さな赤ん坊を抱いていた

「この子ね、あなたの弟よ」

実は、当時交際していた男性との子供を身籠った母、

失踪していた理由は出産するためだった

そしてさらにその2年後、妹も誕生し、3人の幼児の兄となった旭道山

父親となる筈だった男性は、家族と一緒に暮らす事はなかった

弟と妹の誕生で一気に生活は困窮

より必要になった生活費を稼ぐため、母はそれまで以上にスナックへ

旭道山は12歳にして生後3か月の妹の親代わり、さらに2人の弟の面倒

中学時代、バレーボール部に入った旭道山は大活躍

すると卒業間近にバレーの名門高校からスポーツ推薦の話が舞い込んできた

推薦が貰えれば学費の免除も受けられ家計も助かる

何より好きなバレーボールを続けられる…しかし

 

それは卒業式の3日前…自宅に帰ると見知らぬ男性と母が話していた

「あなた やっぱり高校に行かなてくいいわ」「えっ?」

「あなた相撲部屋にいってらっしゃい」「相撲部屋?」

当時、知り合いだったという相撲関係者の推薦もあり、

相撲部屋への入門を勧める母の言葉で大島部屋の門を叩いた

すると初土俵からわずか2ヵ月で序の口優勝を果たした

15歳にして掴んだ初の賞金

そのお金で旭道山が買った物は、母へプレゼントするダイヤの指輪

 

幼少期…「何でお母さんは指輪をしてないの?」

「指輪はお金のある人がつけるもの、お金がない人はつけられないの。いつか指輪が買えるようになるといいわね」

「僕が大きくなってお金持ちになったらお母さんに指輪を買ってあげるよ」

 

その後も旭道山は快進撃を続け、小結まで昇進、人気力士へと成長した

 

●親子関係の亀裂

それはとある親戚からの電話だった

「もう何十年と会ってないから伝えるか迷ったけど、お父さん病気でもう長くないの」

父と生き別れて22年…旭道山は母の元へ

「俺 父さんに会いに行こうと思って…」「ダメ、絶対に会わないで…」

結局、旭道山は父が死ぬまで会えず、この出来事で母との間に亀裂が生じた

 

●母の裏切り

相撲界で成功した旭道山は、徳之島に母の為に一軒家を購入

生活すべてを金銭面でサポートしていた…

しかし度重なる金銭トラブルで母は、購入した一軒家はもちろん、

援助していた財産のほとんどを失うまでになっていた

旭道山は母を徳之島から上京させた

かつてはスナックに勤めていたこともあり、母の為にちゃんこ料理屋をオープン

開店にかかる費用など全ては旭道山が工面した

開店当初こそ真面目に働いていた母

しかしある日突然…理由を口にする事もなく母は店を出ていってしまった…

心配した旭道山が電話をかけると「もうあなたに面倒見てもらう事はやめたわ」

と言い残し、その後、旭道山の前に2度と姿を現す事はなかった

 

旭道山と一緒に経営していた二男から

「おふくろ もう明日からいいよ」と言われたのが、

店を飛び出した理由だったという

(17040)

メレンゲの気持ちで心理カウンセラー:心屋仁之助が自らの過去を語った

 

●悩みを解決する「魔法の言葉」が生まれたきっかけ

感動する映画を観た後に喋ろうとしたら泣けてくる事があった

本当に心に響いている事を口に出す…

言えなかったり、代わりに涙が出てくる事に気が付いた

これはその人が本当に思っているでろう事を見つけて、

言葉として吐いてもらったら本人が先に気付くんじゃないかと思って

「魔法の言葉」を始めたという

 

●心理カウンセラーになったきっかけ

カウンセラーになる前は19年間 佐川急便で働いていた

頑張る事が好きな心屋は色んな仕事を頑張っていた

頑張るとある程度の結果は出る…

ある程度の結果が出るのに何か腹が立ってた

頑張っているのにあの人はあんな事してるんだ?

頑張っているのにこんな無礼な奴がいるんだ?

と周りにずっと腹が立っていた

仕事に向きすぎて家族をないがしろになっていった

すると目の前の現実がグチャグチャになってしまった

何とかしないといけないと思っていた時に心理学の世界に触れた

今まで周りが悪いと思っていたのが自分が悪い事に気付いた

その瞬間に涙が止まらなくなり、心理学の世界にどっぷりハマる事に

会社を辞めて1年間勉強し、心理カウンセラーと名乗った

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