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おニャン子クラブのエースと呼ばれた幻のメンバー

会員番号 No.7:友田麻美子

東京都出身、17歳にして

すでに洗練され大人の雰囲気を漂わせる友田は、

結成当初のおニャン子の絶対的な中心

しかし1985年4月25日号の週刊文春に1枚の写真をスクープされ、

おニャン子クラブをクビになる

それが「おニャン子クラブ喫煙事件」

デビュー曲「セーラー服を脱がさないで」の発売3か月前

センターは友田になると噂されていた

新宿の喫茶店で喫煙しているところを撮影され、

当時未成年だった友田を含む

5人の中心メンバーがテレビから姿を消した

 

●喫煙事件で姿を消したおニャン子クラブの幻のメンバー No.7:友田麻美子は今…

 

「セーラー服を脱がさないで」が25万枚の大ヒットする中、

友田は定職につかず、昼はイベントコンパニオン、

夜は西麻布のプールバーで地道に働いた

さらに両親が別居し、後に離婚

24歳の時には、結婚を考える恋人ができたが、直前で婚約解消

そんな友田は、48歳となった今も独身

独学でデザインを学び、30歳の頃から手縫いのバッグを製作

わずかな生活費をコツコツ稼いでいる

その傍ら、認知症の大叔母を介護

食事の世話から身の回りの面倒を見ている

 

ある日、突如 大量のバッグの注文が入った

その理由は、とある情報誌の片隅にバッグが掲載されたから

何気ない写真にバッグが口コミで広がり、

カリスマモデル:黒田知永子が持つまでに

するとマダムから注文殺到

バッグは完全オーダーメイドで好きな写真やデザインを刺繍

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新田恵利脱退の時期に加入した会員番号51番:宮野久美子

そのわずか1年後、おニャン子クラブは解散

宮野も表舞台から姿を消した

 

●おニャン子クラブ:宮野久美子は今…指名率No.1!結婚式の司会者に転身

本格的に司会業を始めたのは、10年前

結婚式場ベルアンジュールを経営する社長に誘われたのがきっかけ

宮野は一か月7本以上の司会を担当し、この式場 No,1の指名率を誇る

新郎新婦の親や会社上司がおニャン子世代、宮野コールが沸き起こる

たくさんの幸せを見届けてきた宮野は、現在 43歳独身、彼氏無し

 

実はおニャン子クラブが解散した後、地元名古屋に戻り

ご当地アイドルやラジオDJなど必死に活動を続けてきた

33歳で司会業を始めてからも仕事一筋、彼氏ができる環境ではなかった

 

そんな宮野は、マンガやアニメが大好きなオタク女子

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爆報!THEフライデーで

おニャン子クラブ 会員ナンバー15番:立見里歌が紹介

 

1984年、ミス東海大学に選ばれ、芸能界デビュー

その後、名越美香、樹原亜紀、白石麻子と

おニャン子内ユニット「ニャンギラス」を結成

「♪私は里歌ちゃん」は20万枚を売り上げ、オリコン1位を獲得

 

そんな立見は2年でおニャン子クラブを

卒業すると突如、芸能界から姿を消した

 

●おニャン子クラブ :立見里歌は今…広告代理店の部長に転身

部下を10人持つ立見はCMやチラシなどを手掛けている

 

おニャン子クラブ卒業後、ポニーキャニオンに入社し営業職に

25歳の時に4歳年上の青年実業家とできちゃった婚し、寿退社

6年後に離婚し、6歳の息子を持つシングルマザーに

32歳で現在の広告代理店に再就職

そして息子が高校生になるまで離婚したことを隠し続けた

息子には父が家にいない理由を

「パパは仕事で忙しいから一緒にいられない」と説明

学校にも離婚がバレないよう息子は元夫の姓を名乗った

怪しまれないように運動会やイベントには元夫に参加してもらった

そして息子が高校生になり離婚を打ち明けた

 

息子は優等生に育ち、慶應義塾大学に合格

 

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