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Hey!Say!JUMPに選ばれなかったA.B.C-Z:橋本良亮

小学5年生の時にジャニーズ事務所に入り、15歳でA.B.C-Zに加入

 

●Hey!Say!JUMPから外された過去

いまだに週3、4回会っている小学2年生のころからの親友:根本君によると

“A.B.C-Zに入る前、良亮がHey!Say!JUMPのメンバーに選ばれなかった時は、少しやさぐれていたね。笑。Hey!Say!JUMPの歌が店で流れているだけで、すごく気まずかったのを覚えています”

 

橋本が活動していたグループ:J.J.Expressが、

橋本一人だけ外れてJ.J.ExpressがHey!Say!JUMPに変わった

 

ジャニーズJr.のコンサートで急に暗転、モニターに「新グループ誕生!」

Hey!Say!JUMP結成のサプライズ発表で、メ

もちろんンバーには知らされていなかった

「1人目、山田涼介、2人目…」「最後に1人は俺だろう」と思っていたが、

「9人目、髙木雄也…」「あれ?」

ジャニーさんに「俺は?なんで選ばなかったの?」と掛け合ったが、

ジャニーさんはダンマリ、目も合わせてくれなかった

 

橋本はやさぐれ、まず根本君と公園で髪を染め、ピアスを開けた

 

外された理由は、いまだに知らない

 

●ジャニーズで仲が良いのは、関ジャニ∞の渋谷すばる

ある日「良亮!古着屋行こうや」と誘われた

古着の良さを知らない橋本は、

あまり楽しめず、渋谷の買い物に付き合っていたが、

ある古着屋の飾ってあったデニムに魅せられ、試着

測ったかのようにピッタリのサイズ、値段を見ると○○万円

橋本は冗談っぽく「デビューのお祝いにデニム買ってよ」

と渋谷に言ってみると「テメエ殺すぞ」

普通に渋谷の大量買いして支払いを済ませ、店を出た

肩をポンポンされて振り返ると、

あの大量買いした袋の中にあのデニムが入っていた

「デビュー祝いじゃないぞ。これからも頑張れという気持ちでこれをお前に」

とプレゼントされた

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Hey!Say!JUMP:中島裕翔は、10歳でジャニーズ事務所に

するとわずか10ヶ月でジャニーズJr.内の

ユニットJ.J.Expressのセンターに抜擢された

 

翌年には亀梨和也の「野ブタ。をプロデュース」に出演

2007年にHey!Say!JUMPのメンバーとしてデビュー

堂々、センターを務めてスターへ駆け上がった

 

そんな中島にスランプが訪れる

 

2ndシングルのPV撮影時、中島は定位置のセンターへ

ところが「中島と山田、立ち位置 替えてみようか」

突然センターを外された

CDジャケットも一番端へ、さらにバラエティやドラマの仕事も激減

 

高校ではメンバーの山田涼介や知念侑李と同じクラスになったが、

山田は仕事が忙しく早退もしばしば、たまに知念も仕事で早退

一方 中島は仕事がなく皆勤賞をとった

 

腐りかけていたその時、久々にドラマ「理想の息子」の出演が

主演は山田涼介、中島が演じたのは山田の人気を妬む役で

自分の状況と重なっていた

 

ジャニー喜多川に言われた言葉を思い出す

事務所に入って間もない頃、すぐ売れっ子となった中島を妬む声が

「何があってもあんな風に腐っちゃダメだよね」

どんな状況でもベストを尽くすことを教えられた

 

これをきっかけに中島はどんな仕事も全力で臨むように

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元光GENJI:佐藤アツヒロがジャニーズのほぼ同期で

親友でもあるSMAP:中居正広と20年ぶりに共演

当時は中居と木村拓哉とよく遊んでたいたという

 

●ヤンチャすぎた光GENJI時代

佐藤アツヒロの隣の中学出身だった中居によると

「地元が一緒で。中学が隣同士で、悪い中学ですごい有名で…」

光GENJI時代「今日バイク乗ってくわ」「絶対ケガするなよ」

「これ(バイク)がねぇとガス抜きになんねぇよ」と街を暴走

中居いわく「仕方がない、友達がみんなそう(ヤンチャ)なんだもんな」

 

●光GENJIの誕生秘話

50人いるジャニーズJr.が毎週土曜日に後楽園で練習していた

ある日、ジャニーさんに「YOUでグループ作るから」と言われた

その後、佐藤寛之、諸星和己が決まってと徐々に固まっていった

 

●通い組

佐藤は合宿には入らず、自宅から通う通い組だった

朝 自宅を出るとファンが20人、藤沢本町駅に着くと50人、

新宿に着くと100~200人、そのファンを伴って堀越学園に通っていた

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自由奔放すぎるV6:三宅健の生態

泉ピン子に「ピンちゃ~ん 肌キレイじゃん」と言えるほど

大物芸能人相手でも物おじしない性格で自由奔放

 

1979年、神奈川県生まれ

幼い頃は毎日病院に通っていた

そんな体質を改善しようと水泳を始める

すると次第に体も丈夫になりスポーツ大好き、活発な男の子に成長

幼稚園に入ると可愛い子を見つけてはチューをするおませな子に

 

中学2年生の時、親戚の叔母がジャニーズ事務所に応募

その2日後、ジャニー喜多川から電話が

「今度SMAPのコンサートがあるからYOU出ちゃいなよ」

そのままジャニーズ事務所に所属

SMAPのコンサートでいきなりステージデビュー

その後ジャニーズJr.として活動を始めると、

森田剛と共に剛健コンビとして一躍人気者に

人気はすさまじくデビュー前にコンサートを開催

 

15歳の時、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画、

ジャニーズ予備校セレクションが放送

ジャニーズ入りをめざし全国から終結した男子が

各地から集まったオーディションに当時14歳の岡田准一が参加

この時、審査員を務めていたのが剛健コンビ

2人が目をかけた岡田は見事オーディションに合格

その7か月後、バレーボール ワールドカップのイメージキャラクターとしてV6を結成

 

1997年から放送が開始した「伊東家の食卓」の長男役として出演

その後も舞台やドラマなど活躍

自由奔放なキャラクターでバラエティー番組でも人気に

 

●三宅健の第一印象

坂本昌行によると、とにかく歯を磨いている子

長野博によると、気だるそうな子供

井ノ原快彦によると、ヤバい奴だという噂を聞いていたけど意外といい奴でした

森田剛によると、生意気

岡田准一によると、森田と共にジャニーズJr.を変えたレジェンド

 

●三宅健に直してほしいところ

坂本昌行によると、コンサートのMCの時に話を振ると「え?何が?」と返ってくる

長野博によると、食い散らかす

井ノ原快彦によると、寝起きが悪い、人の話を聞かない、自分で言ったことを忘れる。いい加減にしてください

岡田准一によると、森田君を好きすぎるところ

 

●最年少:岡田准一はおもちゃだった

学校のあった岡田は早い時間に寝ていた

学校の無い三宅と森田は、岡田を寝かさなかった

寝ているところを襲って、いたずらしまくっていた

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●滝沢秀明を妬んだ関ジャニ∞:横山裕

 

関ジャニ∞:横山裕が芸能界に入る前の事

ジャニーズJr.のオーディションで審査員の一人を務めていた滝沢秀明

審査員:滝沢の横山に対する判定は不合格

 

しかしジャニーさんから合格を貰い合格した横山は、

後日 同年齢の滝沢から

「俺 お前のこと×つけたよ」と何気なく言われた

 

同じジャニーズJr.でも2人の扱いには大きな差があった

 

そしてジャニーズ恒例の成人式

 

その年の成人は、櫻井翔、今井翼、滝沢秀明、

横山裕、村上信五、渋谷すばる

 

当然のごとく成人式に呼ばれると思っていたら

関西の3人だけ呼ばれなかった

横山は自宅でワイドショーを見ながら、東京の連中を妬んだ

 

「ジャニーズの成人式に呼ばれなかった」と言われるのが嫌で

地元の成人式に参加しなかった

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