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ミヤネ屋キャスターとして活躍していた下川美奈

中学時代、報道記者を志す

門 女子学院では、偏差値69で成績トップクラス

 

予備校では友達が多いからという理由で東大コースに入り、

元々志望していた早稲田大学政治経済学部の勉強は、

入試1か月前から始め、あっさり合格

 

1994年、早稲田大学 政治経済学部 卒業

 

1995年、日本テレビに入社

報道の現場記者としてバリバリ働き、

何度も独占スクープを掴み取り、その功績が認められ、

32歳で女性史上初となる警視庁記者クラブのキャップに

 

2005年、報道局の年下男性と結婚

 

2012年、夫の海外支局への転勤がきっかけで離婚

 

現在は、事件や事故を扱う報道局社会部で記者60名の現場監督をする社会部デスク

 

●寂しいから絶対に1人で食事に行かない

週6ペースで外食

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1990年代、アナウンサーとして日テレの顔を務めた町亞聖

2011年、突如 日本テレビを退社

 

●就職

1995年、日本テレビのアナウンサーとして就職

町が18歳の時に母がくも膜下出血で倒れ、

後遺症により右半身マヒ、言語障害、車いすの生活に

母の介護で、介護問題を伝えられる仕事がしたいと

アナウンサーを目指すきっかけとなった

 

●高額の医療費

母が倒れた今、弟と妹の学費、生活費、母の医療費を稼ぐのは長女の役目

アナウンサーの激務と終わらない介護……

介護をして8年目、町が26歳の時、

突然、母が子宮頸がんの末期と診断された

言語障害の母は、自分気持ちを周りに伝えられず、がんの判明が遅れた

気付いた時には手術すらできない状態

できるのは終末期医療のみ

1999年11月9日、母 永眠(享年49)

 

●局アナの失職

29歳の時、ある日 上司に呼び出された

「異動になったから」アナウンス部からの異動の宣告だった

医療や介護の番組企画を通していた町に、

アナウンサー以外の可能性を見出していた上司は、

彼女への新たなミッションとして異動を命じた

まだ若かった町は、その意図を読み取ることができずに、

アナウンサーの仕事を奪われたと…

その後、部署を異動してからの10年間、

いつかアナウンサーへ戻るため毎年 異動願を出し続けた

気付けば38歳…ある情報番組の制作スタッフとなった

出演者の弁当、控室などアナウンサー時代には

用意されていたものを用意する側に

ストレスを抱えながら働く町は、うつ状態に

突然 涙があふれ出して止まらず人気のないところで泣く毎日

休日は家から一歩も出られない状態

 

●峰竜太

町の介護生活をしていた数少ない芸能人のひとり

埼玉県の外れで行われた母の葬儀に芸能人で唯一参列

町のことを常に気にかけてくれていた

アナウンサーとして最後の収録日、「町さんなら大丈夫」

峰竜太は多くを語らず優しく声をかけてくれた

日本テレビ入社から16年、会社を辞めた

町はフリーとしてアナウンサーに返り咲いた

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行列のできる法律相談所で紹介

付き合いたいくらい好きだという後輩:徳島えりかアナ

頻繁に買い物や旅行など行くほど仲が良い

 

普段 徳島は超優柔不断の甘えん坊

水トのチョイスで2人はいつも色違いのお揃いを購入

 

最近では自宅で「行列のできる法律相談所」を視聴

心がない女と徳島がイジられる姿を観ると、

「徳島はマイペースなだけで心が無いわけじゃないのに!あ~ぁ私が彼氏になれば徳島を絶対に幸せにしてあげるのに」と思う

 

徳島アナによると

「水トアナが脱いだらスゴイのは本当です。全身がマシュマロみたい」

 

マツコ・デラックスが水トアナを分析

「この女だけは非の打ち所がない!完璧!最初からカトパンを目指していないところが卑怯!全部80点でやってるから、はなからそこの勝負は避けた上で完全勝利している」

 

小学校の時に小島奈津子アナに憧れて、

花形職業のアナウンサーを目指し、夢を叶えた

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