金スマで紹介
●久米宏のザ・ベストテン降板の真相
久米はザ・ベストテンの人気で1979年にフリーアナウンサーに転身
その後はベストテンだけでなく4本のレギュラー番組の司会を務めるまでに成長
1985年、40歳になった久米に大きな転機が訪れる
久米の元に来たのは大型ニュース番組のオファー
昔からの夢だったニュースキャスター
久米を司会に新しく始めるニュースステーションはテレビ朝日の大プロジェクト
月曜から金曜まで夜のドラマやバラエティーを全て潰してニュース番組にするという異例のモノだった
テレビ朝日は久米宏に社運をかけた
「くれぐれもこの話はご内密に…」
ザ・ベストテンの放送開始は夜9時、ニュースステーションの開始は夜10時だった
2つとも生放送、両方に出演するのは不可能
それに加え、報道を伝えるニュースキャスターは娯楽番組を掛け持つなどありえない
久米がニュースキャスターに転身するためには…
ザ・ベストテン、ぴったしカン・カン、久米宏のTVスクランブル、司会を務める大人気番組を全て降板しなければならなかった
しかし降板する事を二人三脚でやってきた黒柳をはじめ、番組スタッフに何と説明すればよいのか…
ニュースの話は自分だけの問題ではない…真相は絶対に話せなかった
それから数日後、久米が隠していた番組降板、ニュースの話は載っていなかったが、
久米が生番組を全て降りる事が新聞に載ってしまった
スタッフは久米を問い詰めたが…何を言われても嘘を突き続けた
結局、誰にも説明しないまま時間だけが過ぎ、ついに黒柳は久米を呼び出した
黒柳は辞める理由を問い詰めた
「疲れてしまいまして温泉旅館で働こうと思います」と久米は答えた
1985年4月18日、番組内で降板を発表
「心理的な休養、それから肉体的な休む時間、それからちょっぴり勉強する時間が欲しいな。と言うわけでちょっとまとまった休みをとらせていただきたいと云う事でベストテンを今月一杯ということにさせていただいたということです」
ニュースの件は言えないので降板の理由は、こう説明した
そして1985年4月25日、結局、最後まで真相を話せないまま久米は育ててもらったザ・ベストテンを去った
その半年後、ニュースステーションで復帰した
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