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五輪で金メダルを獲った女子レスリング選手が、

全日本女子レスリングの栄和人 監督を肩車する光景をよく見かける

 

リオ五輪 レスリング女子69キロ級 金メダリスト:土性沙羅によると

●五輪で金メダルを獲った女子レスリング選手のほとんどが、栄監督を肩車するのは監督に肩車を強要されているから

 

栄監督は、試合前 選手たちに わざとらしく「肩車してほしいな~」と囁いている

 

土性は、しょうがなく肩車をしたという

 

ちなみに栄監督が、初めて肩車をされたのは、

アテネ五輪の吉田沙保里選手が金メダルを獲った時

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2012年11月から2014年9月にかけて治療回数を水増し請求して

患者14人分の診療報酬を合わせて155万円をだまし取った

 

1978年、東京生まれ

小学校から高校まで東洋英和女学院に通う

1996年、東京女子医科大学医学部に入学

2003年、医師免許を取得し、

東京女子医科大学病院 麻酔科に入局

家柄もよくイケメンの外科医と結婚したが、

1年間の別居の末に31歳で離婚

この別居中に、ひと晩 900万を平気で使うほどホストにハマった

 

父は某大手商社の関連企業の社長

父方の祖先は、豊臣秀吉の家臣だった脇坂安治だったという

明治維新後、脇坂家は子爵の爵位を授かっている

生粋のお嬢様だった

 

●転落人生のきっかけは、父の死

開業したクリニックのキャッシュフローを父が援助していたが、

数年前に父が亡くなってから、タガが外れ始める

2014年度、診療報酬の請求額について

不正の可能性がある金額は、133億円以上と

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1980年「仮面ライダースーパー1」に

主演した特撮ヒーロー:高杉俊介

自衛隊の精鋭レンジャー部隊出身で

子供たちの憧れの存在となった

 

●子供の頃から高杉のファンだった落合(仮名)さん

高校時代に映画撮影所に通い、ファンレターを出していた

2003年1月10日、当時落合さんは29歳

電話が鳴り「はじめまして仮面ライダースーパー1でヒーローを演じていた高杉と申します」

電話の相手は憧れの高杉を名乗る男

ファンレターから実家を割り出し、

実家の家族が落合さんの番号を教えた

「実は変身道具一式を役者仲間に貸したところ、他の人の手に渡り取られてしまいました。そこで取り返すための費用、80万円を貸していただけないでしょうか?」

「80万円?」

詐欺だと思いつかず、貯金を崩し、80万円を用意

待ち合わせ場所に現れたのは紛れもなく本人だった

「80万円の件、考えていただけましたか?」

「でも初対面の方にお貸しするのは…」

「それに何がいけないんです?私は芸能界にいるから逃げることはできません。私は正義のヒーローを演じたから決して悪いことはできないんです」

懐から用意してきた借用書を取り出し、テーブルに

「ヒーローのピンチに貸してもらえませんか?」

「分かりました」

お金を借りたお礼にと自宅に招き、家族を紹介

さらに落合さんは、仕事がなく困っていた高杉のため

高杉公認のファンサイトを立ち上げた

そしてファン交流会を定期的に開き、高杉を応援

しかし金の無心は、続いた

20万円お借りできないでしょうか?

闇金の金利が高く40万円お借りできないでしょうか?

決まって“これはあなたにしか相談できない

”落合さんが特別な存在だ”と念押ししてきた

2003年から10年に渡り、計100回以上、総額2426万円

さらに高杉はファンサイトを利用し、

別のファンからも金を借りていた

 

●新潟県在住の女性:田中(仮名)さん

2004年7月、夫の別居中だった田中さん

家庭と仕事に疲れていた彼女のよりどころが、

高杉のファンたちと交流できるファンサイト

そこに田中さんが日頃の悩みを書き込んでいた

すると高杉本人からメールが

“応援してくれてありがとう。でも僕がこうやって個人的にメールしたのは皆さんには内緒ですよ”

その後、携帯メールで悩みを相談するように

いつも田中さんを気遣う心優しい言葉が送られてきた

そして田中さんをカラオケボックスに誘い、

特撮番組の主題歌を歌ったり、

ヒーローポーズを披露してくれるなど、

まるで恋人のように元気づけてくれた

 

ある日のこと高杉から一通のメールが、

“知人に渡した変身ベルトがヤクザの手に渡ってしまったんです。ヤクザからの請求は1000万円。必死に集めましたが、あと100万円足りません”

“私が何とかします”

79万円を借りて、高杉の口座に振り込んだ

その日以来、田中さんの給料日が

近づくと金を無心するメールが届くように

2013年までの9年間で総額2400万円

 

●落合さんと田中さん

2013年、私設ファンクラブを立ち上げた落合さんとやり取りをしていた田中さん

「彼、ヤクザにベルトを取られたみたい」

「えっ?私も9年前に同じこと言われて私がお金を払って取り返したんです」

「えっ?嘘でしょ?」互いにお金を貸していたことが判明

すぐに高杉に電話して金を返すように催促

帰ってきた金額は、わずか40万円

田中さんは警察に相談

居所が分かり、少額でも返金されると詐欺として成立しないと言われた

そして妻と離婚した高杉は2014年に姿を消した

 

●裁判

2016年4月8日、36万円返還を求めて平岡(仮名)さんが訴訟を起こした

被告として出廷要請が出されている高杉に、直談判するため

落合さんと田中さんも集結

しかし高杉は裁判に出廷しなかった

裁判手続きの中で高杉の新しい住所が判明

ファンは自宅に突撃し、借金を返すように訴えた

「お金を返し始めたら本当のことを言います。今言うと全部ウソに取られます。騙したように思われているのは致し方ないと思います。でも今自分自身でこれから返していこうと思っております。本当に今まで申し訳ございませんでした」

と頭を下げて返済を口にした

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浪速のロッキーと呼ばれた元プロボクサーの赤井英和と

元プロレスラーの高田延彦がカラオケスナックで乱闘した

 

赤井は、UWFインターの頃から高田のファンだった

高田の友人の吉本興業の和泉修から

「今 大坂 着てますよ」と赤井に連絡が来た

「ぜひ一緒に飲ませてくれ」と頼み込み、

高田の後輩のレスラー数人と赤井らで寿司屋に

 

お互い楽しく飲み、寿司屋の焼酎を全て飲んでしまった

もう一軒飲みに行くことになり、カラオケスナックへ

すっかり仲良くなった高田と赤井は、

2人で「ONLY LOVE」を歌うことに

しかしそのうち歌の主導権の取り合いになり、

「高田さんは世界一強い男やけども どつき合いやったら俺のが強いぞ」

と言い放ち、赤井は高田を殴った

すぐさま高田の殴り返し、吹っ飛んだ赤井は、

カラオケスナックのガラスを割った

ふと我に返った赤井は「すんません」と言って帰ったという

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●紅白に出演した演歌歌手:門倉有希の監禁事件の真相

1998年、演歌歌手:門倉有希の「♪ノラ」で80万枚の大ヒット

そのルックスをいかして水着の写真集も出版

デビューからわずか2年目で紅白歌合戦に出場した

実はデビュー直後の1994年、

失踪事件を起こしマスコミから猛バッシングを受けていた

その年の新人賞を大きく左右するイベントをドタキャン

マスコミは、登校拒否症、男と駆け落ちと書き立てた

しかし事実は違い、この間、

門倉は死を覚悟した監禁生活を強いられていた

 

●監禁事件

中学3年生のとき、歌手を目指してオーディション番組に出場

その会場で同年齢 15歳の少年Aと出会った

歌手になりたい、同じ夢を持つ2人は意気投合

4年間 文通を続け、高校を卒業すると同時に上京

Aの家で同棲を始めた

 

上京してから1年経った1994年、門倉のデビューが来まった

デビュー曲は、新人演歌歌手としては異例の20万枚の大ヒット

その年の新人賞を総なめにするのではと言われていた

これがAの性格を豹変させることになる

 

「ただいま。疲れた…」

「疲れた 疲れたって俺に対する嫌みかよ」

忙しい門倉、デビューすらできないA

かつて同じ夢を追いかけていた2人は、大きく差が開いてしまった

Aは門倉に嫉妬するようになり、次第に束縛へと変化した

男性マネージャーから電話がかかってくると、

オンフックにして会話を把握

ある日、20時にAと会う約束だったが、

スタッフたちとの急な食事会が入り、帰宅したのは23時

するとズタズタに切り裂かれた門倉の衣装が…

「お前、なんで約束守らないんだよ」

指輪をはめた手で殴られ、顔面から出血

「ごめん、ごめんな、2度と殴ったりしないから」

Aは泣きじゃくり謝罪し、門倉はAを許した

 

バタード・ウーマン症候群→暴力を受けた後に謝罪や優しくされることを繰り返すと心の正常さが失われる

その結果、私がいないとダメになると、男を支えることに依存してしまう

 

門倉は、暴力を受けるのは自分のせいだと

思い込み、Aを責めることはなかった

そして門倉の仕事が増えるのと比例し、嫉妬と暴力はエスカレート

ついにAの精神は崩壊

 

1994年10月1日、その年に活躍した新人歌手が勢ぞろいする歌謡イベント

当時、新人賞を確実視されていた門倉にとって大事な賞レース

家を出ようとすると「ダメだ、仕事には行くな。行くならお前を殺して俺も死ぬ!これで殺してやる!」

Aは、突如 包丁を突き立てて来た

恐怖のあまり身動きが取れないまま時間だけが過ぎた

門倉を心配したマネージャーからの電話が鳴る

しかし電話に出ることも許されない

するとマネージャーが自宅の前に来た

Aの殺意に助けを求めることもできない、マネージャーは去っていった

ついにイベントの開演時刻、門倉のドタキャンに会場は騒然

 

この日から監禁生活が始まる

一緒に住んでいた部屋に閉じ込められた

食事は買いだめしておいたカップラーメンが与えられた

24時間監視、トイレ以外は共に行動

何度もマネージャーが自宅に訪れるも「逃げたら殺す」と繰り返す

 

3日目、Aが門倉から唯一目を離すトイレに入る瞬間、

外に出たが、エレベーターを待っている間に

「俺から逃げられると思ってるのか!」とAに捕まった

 

7日目、Aの外出中、門倉は勇気を振り絞り、階段を駆け下りた

公衆電話から父に助けを求め、命からがら実家に戻った

両親から被害届を出すことを勧められたが

イメージが傷つくのを恐れ、被害届を出さなかった

だがその結果、失踪した歌手として芸能界を干されてしまった

そして監禁のストレスから拒食症となり18キロも激痩せ

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