すしざんまい木村清の壮絶人生

すしざんまい木村清は、家が貧乏すぎて、

5歳からウサギや鳩や鶏を飼育して千葉大学に販売していた

 

その後、鶏の卵の販売、耕作、新聞配達、ゴルフのキャディー、

イチゴ捕り販売、一升瓶の回収と金を稼いだ

 

中学卒業後は、パイロットに憧れ、航空自衛隊に入隊

しかし訓練中の不慮の事故で目を負傷、自衛隊を退官

 

パイロットの夢を絶たれた木村は、百科事典のセールス、水産加工会社で働いた

そこで学んだ交渉力や営業力を生かし、1979年、27歳で木村商店を設立

 

冷凍食品の営業、温かい弁当の製造販売、持ちかえり弁当店、すしネタの開発・卸・養殖、居酒屋、海産物や農産物の輸入・販売、コンテナカラオケ店、移動式バスカラオケ、屋台村、スナック村、コンビニ店、レンタルビデオ、マグロの卸・販売、ガリの製造販売、ラーメン店、パチスロ店、不動産の仲介・販売など80個以上のビジネスを展開

 

しかしバブル崩壊により150億円の借金を抱え、全ての事業を手放す

 

冷凍食品会社で魚を扱っていた経験から、わずかに残ったお金で寿司店を開業

2001年、当時考えられなかった24時間営業の寿司店「すしざんまい」をオープンさせた

 

●コンテナを使ってカラオケボックスを作った

水産加工会社で働いた経験からコンテナを1つ3万で何個も購入

30~50万で内装を施し、モーテルを作った

オープンすると警察が来て「風営法、持っているか?」と問い詰められ、

ベッドをソファーにすり替え、モーテルではなくスナック村としてオープンさせた

木村社長いわく、カラオケボックスの先駆けだったという

 

●炙りトロを発案したのは、木村社長

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