月別アーカイブ: 2019年2月

1977年、大阪府豊中市に産まれた鈴木紗理奈

 

実家の稼業は、父が一代で築いた建設会社

規模は、社員50人

また趣味が高じて割烹料理店を経営

 

建設業をメインに手広く事業を展開

芦屋出身のお嬢様だった母は、警備会社と大島紬店を経営

ちなみに祖父は、東京大学卒の博士

 

実家は、8LDKの豪邸

中庭が見えるリビングには、ビリヤード台

定番の夕食は、父が経営する割烹料理店で、週一のふぐ

さらに父の趣味が高じて、ふぐのために調理師免許を取得

自宅でも ふぐが食べられるように

レストランといえば、ファミレスではなくホテル

寿司が回るのは、知らなかった

即席ラーメンは、お手伝いさんが作ってくれた

 

習い事は、日舞、ピアノ、エレクトーン

ドラマ「スワンの涙」に憧れてシンクロナイズドスイミング

 

英会話が得意になったのは、

実家に英語圏の外国人のホームスティが計12人

 

紗理奈は芸名

本名は、華奈子

(541)

スポンサード リンク

2008年、プロ野球 関西独立リーグのトライアウトに合格

16歳、女子高生で日本初のプロ野球選手になった吉田えり

 

彼女の武器は、ナックルボール

予測不能な変化をする男子選手を翻弄

彼女の登板日には、多くの観客が訪れた

 

さらにアメリカの球団に移籍し、勝利投手に輝き、

ニューヨークタイムズ紙で一面を飾った

 

その後は、独立リーグを転々とし、いつしか表舞台から姿を消した

 

●女子高生プロ野球選手 ナックル姫:吉田えりは今…田舎に移住し、女子プロ野球の監督に転身

 

2017年まで選手としてプレーし、戦力外になり、廃校を利用し、なまずの養殖など様々な事業を行う会社エイジェックの女子プロ野球の監督に転身

 

2018年に独立リーグのチームメイト小松原鉄平と結婚

夫は、東京で野球の独立リーグ ルートインBCリーグの事務局長として働き、吉田とは別居婚状態

(259)

体重100㎏超でキレキレダンスを見せる芸風で、

2008年 R-1グランプリで準優勝し、ブレイクした芋洗坂係長

 

●芋洗坂係長は今…漫画になった伝説の食堂を経営

 

それは北九州市 門司港にある二代目 清美食堂

クッキングパパにも登場した伝説の食堂

 

清美食堂は、芋洗坂係長が生まれる前に、母:清美さんが開店させた食堂

地元の人に愛され、北九州市の名店だった

しかし店を継ぐはずだった長男の芋洗坂係長が、

ダンサーになるため上京したため後継者がいなくなり、1999年に閉店した

 

いくつものオーディションを受けるもののダンサーとして鳴かず飛ばず

1989年に芸人テンションとして活動

その後、相方の田口浩正が役者としてブレイク

ピン芸人として2008年 R-1グランプリで準優勝した

 

芸能活動する中で、大切な店を自分のせいで

潰してしまったことを後悔していた

2014年、母のため清美食堂を復活させた

芋洗坂係長が芸人や舞台で東京にいる間は、

幼馴染の店長と姉の範子さんが店を切り盛り

芋洗坂係長と共に帰省した時には、13歳年下の妻も店に立っている

 

門司港発祥の「ちゃんらー」は、客の8割が注文する

ちゃんぽん麺をいりこ出汁で煮込み、豚肉、もやし、キャベツを炒めて、

上に乗せるだけのシンプルなメニュー

(221)

バンドREVのイケメンボーカル:出口雅之は、

甘いマスクで女性を虜にし、チケットを販売されば即日完売

CMにも曲が採用されるなど、ヒットを連発

しかし1994年、デビューから1年でREVは活動休止

 

●REV出口雅之は今…ソープカービングの講師に転身

 

ソープカービングとは、石鹸に模様を彫刻するアート

築30年以上、風呂なしのワンルームが仕事部屋

ナイフ一本で石鹸を削ってバラの形に

 

生徒は100名以上、レッスンは予約で常にいっぱい

(348)

スポンサード リンク