デビュー/引退秘話」カテゴリーアーカイブ

国立音楽大学を卒業して、劇団四季に入団

2017年4月1日までNHKの「おかあさんといっしょ」

11代目うたのおにいさんを務めた横山だいすけ

 

●NHKのお客様センターに問い合わせ

高校生の頃から「うたのおにいさん」になることに憧れ、

うたのおにいさんになるには、どうしたらいいか?

とNHKのお客様センターに電話

ヤバイ奴から電話が来た感じの雰囲気で

「今は受け付けておりません」と回答されるが、

NHKとのつながりは、お客様センターしかない横山は、

それから数回、お客様センターに問い合わせしたところ、

すると「おかあさんといっしょ」の内線に繋いでくれた

ようやく「おかあさんといっしょ」のスタッフと話し、

「うたのおにいさん」になるための流れを聞くことができた

 

うたのおにいさんだった今井ゆうぞうが、

かつて劇団四季に所属していたことを聞き、

横山も国立音楽大学を卒業して劇団四季に所属し、

「おかあさんといっしょ」のオーディションには、

劇団四季に所属していた記事を持参した

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●ミュージカルは、舞台に立つまで見たことがなかった

初めて見たのは、2003年 大学を卒業してから

 

●喉の内視鏡

耳鼻科で喉の声帯を頻繁にチェックしている

内視鏡の画像をアルバムに入れて保存している

ミュージカルの本番中は、毎日 行っている

 

●せっかち

エレベーターでは、コントロールパネルの前に立ち、

閉まるボタンを押してから、階数ボタンを押す

 

●田舎育ち

卵と鶏肉は、スーパーではなく養鶏場で購入

小学校まで歩いて45分、ひたすら野花の蜜を吸っていた

コンビニを見たことがなかった

お菓子は、すべて母の手作り

 

●バンコクでカラオケを初体験

毎週末、家族でカラオケに行き、7時間滞在していた

友人とカラオケ行ったら、あの歌うたって、この曲歌ってと喜んでくれた

歌うと喜んでくれることから歌手になりたいと思うように

 

1980年、愛知県の超ド田舎 祖父江町に生まれる

顔は父親似、性格は母親似

父の仕事は、エレベーターの設計開発者

作業事務をしている母親は、ママさんコーラスに在籍し、ずっと鼻歌を歌っていた

 

姉の影響で、3歳からピアノを習い始めたが、

落ち着きがなくピアノの前でジッとしていられないと、

先生に呼び出されて歌やダンスを薦められた

 

1991年、11歳のとき、母から突然「バンコクに引っ越すわよ」と宣告

父の海外赴任で突然 バンコクに行くことに

両想いだった同級生と体育館で2人だけでお別れ

バンコクでは都会の高層マンション暮らし、15階に住んでいた

田舎の小学校からインターナショナルスクールに転校

クラスはなく大学と同じ 授業の選択制

外国の友達に囲まれ、性格が積極的に

 

17歳でバンドを組み、相川七瀬などのJ-popをカバー

日本の雑誌で読んだセブンイレブンの牛カルビ弁当がきっかけで、日本に帰りたくなり帰国

 

帰国後、1999年 上智大学法学部に帰国子女枠で小論文と面接で入学

本格的に歌手を目指し、芸能事務所に所属

デモテープを作り、2年間の営業活動の結果、成果なく

 

2001年、テレビ朝日のアナウンサーの試験を受験

最終のカメラテストに合格し最終面接で不合格

中越典子が辞めた枠の「王様のブランチ」のリポーターに抜擢

 

●ミュージカル女優になるきっかけ

2003年、23歳のとき、突然 ミュージカルのオーディションを受けてくださいと依頼が入った

受けてみたら役に合格

後に聞いたら、自分をプレゼンする大学の授業で、3秒だけ口ずさんだ歌声

それを覚えていた学年も違う女性が、

2年後に、レ・ミゼラブルのオーディション枠に推薦してくれたことを知った

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札幌大学に入学して1年後に中退、

19歳で上京してパン屋に住み込み働きながら曲を書き続ける

地道な音楽活動を続けきた半崎が、話題になるきっかけが、

ショッピングモールでのライブ

何気ない日常溢れる感謝や希望を歌った歌詞が

買い物客の心に響き、号泣する人も

ショッピングモールの歌姫の異名を持つほどに

その人気は口コミで広がり、

2017年4月、レコード会社5社の争奪戦の末、

36歳にして遅咲きのメジャーデビュー

2017年、NHK「みんなのうた」で自身が書き下ろした

「お弁当ばこのうた~あなたへのお手紙~」が放送

 

インディーズ時代は、CD、カラオケ、お釣りなど

全て自分で準備をしていたので、

メジャーデビューしてから荷物が軽くなった

 

●ショッピングモールは、自ら営業

電話が苦手なので、直接ショッピングモールに伺って

責任者を見つけ出して、デモテープを聞かせていた

 

●気合の丸坊主

プロデューサー的な人に「歌への情熱、気合を見せろ」と言われたので、

気合=坊主のイメージでバリカンで坊主にしたら、連絡が取れなくなった

 

●出待ちで笑福亭鶴瓶と仲良くなる

直感で歌を聞いてくれそう、と思っただけで、出待ちした

その日は会えなかったが別の日のトークライブに行き、

スタッフにデモテープと手紙を渡した

その後、鶴瓶から「永遠の絆」という曲を「ラジオでかけたる」

と電話がきて、曲が流された

その後、ラジオ「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」に出演し、

東日本大震災後に感じた思いを綴った自作曲を

生演奏し、鶴瓶が「希望の桜」と命名した

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●女優:板谷由夏のデビューのきっかけ

モデルになりたくて福岡で読者モデルをしていた

ジローラモを迎え、

バラエティ色が強くなったNHKのイタリア語会話に出演

それが監督の大谷健太郎の目にとまり、

大谷本人からNHKに問合せ

板谷を1999年に公開された「avec mon mari」に主演で抜擢

演技が全くできないため、1か月もリハーサルに費やした

 

●井川遥は、ママ友

結婚、出産、お腹が大きくなるタイミングが一緒だった

 

●大親友の石田ゆり子

ドラマ「医師たちの恋愛事情」で共演したのがきっかけ

「あたしが練習しているんだから、あなたも練習しなさい」と

恋ダンスの動画が送られてきた

 

●飼い猫:めい

映画「3月のライオン」の撮影現場になった一軒家の軒下に6匹の子猫がいた

スタッフなど3匹の子猫の引き取り手は、その日のうちに決まった

残り3匹、石田ゆり子に相談すると、撮影現場まで来て、3匹とも引き取っていった

1週間面倒見てくれて、そのうちの1匹を板谷が引き取り、めいと名付けた

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沖縄出身の元高校教師

HYのボーカル 仲宗根泉のいとこ

美声を殺すおじさんルックスが特徴

 

普通にデビューするために上京し、

普通の顔でオーディションを受けた

 

すると「顔 中途半端にブサイクだし、歌もそんなに上手くない」

とはっきりと審査員に言われた

 

沖縄に帰ろうと思った時に、

リハビリで頑張っている友達から泣きながら電話がかかってきた

「リハビリ辛いから、歌って、美香の歌聴いたら頑張れるから」

 

沖縄に帰るのをやめ、注目を浴びるように、おじさんに扮するようになった

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