あの芸能人の過去」カテゴリーアーカイブ

進学時、悩んだ末、学業に専念するため

乃木坂46を卒業し、早稲田大学に進学

 

●乃木坂46に入ったきっかけ

母親がの乃木坂46のオーディションをネットで見つけて

「よかったら応募してみない?」と促された

ダンスは得意だが、歌は下手

オーディションの時、歌が下手すぎて

秋元康にサビいく前に途中で止められた

 

●元々ダンサー志望だった

幼稚園でバレエを始めて、ダンスの世界に興味を持つ

 

小学6年生の時、社交ダンスを始めて3年で日本代表として

ロンドンで行われたジュニア世界大会に出場し、入賞、

プロのダンサーを目指していた

 

●幼い頃は週1で水族館に通うほどハマっていた

中でも深海魚のデメギニスが大好き

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1963年、大阪府大阪市生まれ

父は飛鳥流の日本舞踊家で、実家は花柳雅人舞踊研究所

商社に勤めていた父が、かくし芸として舞踊を始めたのがきっかけで舞踊家に転身してまう

日本舞踊団を結成し、企業パーティーなどで踊りを披露していた

そのため右團次は、物心つく前から日本舞踊を習っていた

小学生の時に観た三代目 市川猿之助のスーパー歌舞伎に感激

子役として歌舞伎に出演するようになり、

憧れの三代目 市川猿之助からスカウトされ、市川右近を名乗るように

小学6年の秋、師匠の市川猿之助の一言で

慶應義塾大学中等部を受験することになり猛勉強、見事受検に合格

一人で上京し、師匠が所有する赤坂のアパートで暮らすことに

右團次が暮らす6号室の隣人は、ミカドのお姉さん

1号室には、師匠の祖父の未亡人、

2階には銀座のママさんが暮らしていた

 

エスカレーター式で慶應義塾大学法学部に進学

週5でディスコ通い

 

●市川右團次を襲名

2008年、市川海老蔵と共演した際、海老蔵から

「うちに右團次という名があるんですけど、どうですか?」

2014年、歌舞伎座で共演した際、4歳の長男がたまたま楽屋にいた

「この子 役者にするんすか?」「そのつもりです」

「じゃあの話 急がなきゃいけませんね」

2017年1月3日、三代目市川右團次を襲名、

長男が二代目 市川右近を襲名

 

●市川右團次の本名は、武田右近

ちなみに妹の本名は、武田左近で

飛鳥流 三代目家元 飛鳥左近として家を継いだ

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2010年4月、宝塚音楽学校入学し、

2012年3月、宝塚歌劇団に98期生として入団。入団時の成績は14番

紫乃小雪(ゆかりのこゆき)として

月組でヒロインも務めたが、わずか4年で退団

 

●宝塚歌劇団 退団の理由

アドリブが大好きで舞台でもアドリブをしていたら、

先輩から「やめてほしい」とクレームを受け、

自由にできる世界に行こうと、

あの水沢アリーの事務所に所属し、バラエティ番組に出演し始めた

 

●新宿東口でナンパ待ちしている

ナンパをされてみたいと大阪に住んでいるときは、

ひっかけ橋を何回か往復していたが、全くナンパされない

上京してからは、新宿東口で数回ナンパ待ちをしている

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●他人にストローで飲む姿を見せない

私がブスと言われる所以は、顔がちょっと間延びして見える。

鼻の下が通常の人よりも長め、と自分の顔を分析

ストローで飲むと鼻の下が伸びるので他人にストローで飲む姿を見せない

 

●メイクは鼻の下に線を描いている

この線を描くと妹に似ていると言われるから

妹は遺伝子的に可愛いの最上級

 

●理想の彼氏は、身長2m

身長が高い人からは、口元が見られないため

 

●歯を6本抜き、歯茎を削り、セラミック矯正

幼稚園までは可愛い部類に入っていた

歯の抜け替わりの頃、乳歯が生えてるまま

大人の歯が生えてきて歯の数が多くなり、

ゴリラのように口が出て顔面崩壊したという

その後、5年かけて歯を6本抜いて矯正し、

歯茎が出ているのが気になり、

2018年、歯茎を削りセラミック矯正を施した

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2017年、15年勤めたテレビ東京を退社し、フリーアナに

 

1978年、兵庫県神戸市須磨区に生まれる

父も母も東京生まれなので関西弁が苦手

父は婦人靴メーカーの社長

 

●教育に厳しい父のスパルタ教育

溺れた時の感覚を味わえとプールに投げ落とされる

箸の持ち方がおかしいと食事中でも箸で頭を叩かれた

鼻をすするだけで怒られる

「サッカーボールを蹴るから体のどこでもいいから止めろ」と

弟と一緒に家の前に立たされ、父が蹴るボールを止める訓練を受けていた

高校の時には、ポケベルを割られた

弟は強制的にアメフトを始めさせられ、結果 大学でアメフト日本一に

 

●幼少期は、野生児

山を「別世界」と名付けていた

山で土を掘り階段を作り、竹を組み合わせて家を作って遊んでいた

 

●小学校時代のあだ名は、「両津勘吉」

眉毛がびっちり繋がっていたため、こち亀の両津勘吉と呼ばれるように

しかし眉間にパワーが宿っていると思っていた大橋は、頑なに剃らなかった

他にも「かもめ」とも呼ばれていた

ランドセルの色が紺だったために「男女」とも

 

負けん気が強くよく男の子と喧嘩をしていた

1991年、女医を目指し、毎日8時間の猛勉強

関西でも指折りの進学校 神戸女学院に合格

入学後すぐ勉強についていけず、ディズニーのキャストになる夢に変更

 

●中学3年生で初めて交際

灘校の男子と文化祭で出会い、告白されて交際

お互いに単語テストをFAXでやり合ったり

イノシシが出る公園でデートをしていた

 

●アナウンサーになりたくて一浪の末、上智大学法学部に進学

アナウンサーになるために自らミスコンに応募

 

●2001年テレビ東京のアナウンサー試験に合格

面接で「皆が12に合わせてくれます 笑」と言った

 

●2015年、37歳の時、10歳年下のADのテレビ東京社員と結婚

ロケの荷物持ちだったAD

そのロケをきっかけに仲良くなり、

母性をこじらせ、母性の持って行き場を探していた大橋は、

母親のように面倒を見ていた

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