網膜剥離で引退した後、どうやって生きていこうか悩んでいた
鬼塚を知らない町でボクシングと関係のないことをやって暮らそうと、
知り合いがいるロサンゼルスに渡った
ロスのスーパーで見つけた日本人幼稚園の求人募集
電話して面接してボランティアでもいいからと働き始めた
子供たちが昼寝をしているときに、
クレヨンで子供たちが喜ぶようなキャラクターの絵を描いて、教室に貼っておく
喜ぶ子供たちを見て、何も無くなったと思っていたけど
そういえば絵好きだったなと思い出した
東京に戻った鬼塚は、毎日毎日 絵を描き始めた
(194)