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サッカー日本代表:宇佐美貴史

妻の蘭は、高校生の頃から女優やキャスターとして活動

 

●2人の出会いは、中学生

お互い初恋同士という超純愛カップル

「貴史 見ろ!学校のアイドル蘭さんだ」と

友人に言われて見てみると校庭でバレーボールをしている、

当時、中学3年生で貴史の1歳年上の蘭だった

このとき貴史は、この人と絶対結婚したい!と思った

 

共通の友人を通じて連絡先を交換

何度もメールをするうち互いに惹かれあっていたが、交際には発展しない

このままじゃ一生 告白してもらえない、と蘭は、

“好きな人がいるなら告白したら?”

すると“蘭のことが好きだ でも、そばにいられるだけでいいよ”

煮え切らない貴史に“じゃバイバイ!”

“好きなら付き合いたいのが普通でしょ?そうじゃないならもういい”

“じゃあ好きだから付き合ってください”

こうして2人は蘭のリードで付き合うことに

 

年上の蘭が、1年先に中学を卒業するとき、

貴史は学生服の第2ボタンを渡した

「どうせ来年 誰にも渡さないから」「大切にするね」

貴史はその後1年間、第2ボタン無しで過ごした

 

蘭は東京の高校へ進学、貴史は大阪でサッカー漬けの毎日

2人は別々の道を歩むことに

蘭は東京の大学へ進学

貴史は高校生にしてガンバ大阪とプロ契約、Jリーガーになっていた

 

2人は東京で久々の再会

他愛もない会話の後、突然、

「もしまた付き合えるんだったら…結婚を前提に付き合ってほしんだ!」

貴史は別れた後も、ずっと蘭を想い続けていた

初恋同士の2人は19歳で結婚した

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●クロマティに殴られた中日:宮下昌己は今…米問屋を経営し、年商6000万円

 

1987年6月11日、巨人 対 中日、バッターは助っ人:クロマティ

宮下が投げたボールは、クロマティの背中に直撃

激怒したクロマティは、マウンドに突進し、ぶん殴られた

 

1991年、戦力外通告、プロ野球界から姿を消した

 

現役を退いた宮下は、吉祥寺でステーキ店を開業も5年で閉店

その後、チラシのポスティング、スーパーの売り子など職を転々

 

10年前、やむなく始めたのが、経営不振だった父親の米問屋

宮下は米を保管できればOKと店を構えることなく

月1万円でコンテナ倉庫を借りて、極限まで経費削減

 

米を配達するときに配る名刺には、

クロマティに殴られている宮下の写真を印刷している

この名刺を見せると営業の話に入りやすいという

結果、取引先は50軒以上

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美しすぎる女子プロ野球選手:加藤優

 

 

2016年、女子プロ野球の埼玉アストライアに所属

 

走攻守揃った選手だが、

2015年10月に歌手としてCDデビューを果たしている

 

「♪きみのそら」

作詞作曲も自身で手掛けている

 

「作曲活動はずっと続けている、それがひとつの自分の中でのリラックス方法」

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●奇跡のバッテリー

それは横浜DeNAベイスターズの

三浦大輔 投手と黒羽根利規 捕手

 

黒羽根選手は、小学校5年生のときに

三浦選手のトークショーで花束を渡す役になり、

その時、三浦選手と 将来 プロになって

バッテリーを組もうと約束をした

 

それから13年後、2011年8月14日

その約束が実現し、2人はバッテリーを組んだ

三浦選手は、7回無失点と活躍した

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志村の小学校時代の夢は、プロ野球選手

強豪 桐蔭学園高校から名門 慶応大学に進学

慶応大学のエースとして活躍した志村亮

5試合連続完封勝利、53イニング連続無失点…

今も破られていない不滅の大学記録をうちたてた

 

プロ8球団が注目する志村は、大学の最終戦も完投で勝利した

試合後、キャッチャーはいつものように

「志村さん、クールダウンのキャッチボールしましょう」

「やらなくていいよ。もう肩は使わないから」

 

そして志村は、ドラフト直前のインタビューで

「指名されてもお断りするしかできませんし、使命はしないで頂きたい」と答えた

 

契約金8000万円以上を蹴り、

志村が選んだのは、初任給16万6600円のサラリーマン

しかも入社したのは、野球部がない三井不動産

志村は完全に離れた

 

●当時 志村と対戦し、2000本安打を

達成した元広島カープ:野村謙二郎によると

「コントロールは抜群だった。彼からヒットを打った記憶はない。彼がプロ行かないって言った時に、うそでしょと思って、本当にびっくりしました」

 

●プロに行かなかった理由

当時、行きたいと手を挙げれば指名してもらっていた

小学校の夢である、プロ野球選手になりたいという夢は、

その時点で叶っていた

 

1回だけの人生なので違う道を探ってみたい、

野球だけでない違う道で頑張っていきたい

 

当時は空前の好景気、不動産の仕事に就き、

億単位のお金を動かすスケールの大きな仕事がしたいと思った

 

現在、マンションの用地買い取りを手掛けた志村は、

物流倉庫を取り扱う営業をしている

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