あの文化人の生涯や半生」カテゴリーアーカイブ

2004年、36歳で小説家デビューを果たした作家:宮下奈都

「羊と鋼の森」で2016年に本屋大賞を受賞

現在、高校3年生の長男~中学1年生の長女までの3児の母

 

●しらすが柴犬に見える

飼っている白い芝犬:ワンさぶ子が可愛く、

白く可愛い物を見ると柴犬に見えてしまう

特に、しらすのように白くて目がクリッとした物を見ると、柴犬に見える

目が合うと愛犬に見えてしまい、食べにくくなる

 

●小説を書くと快感を得られる

自ら書いた第一稿を直して、何度でも直す、その作業が好き、それが喜び

「明日もまた直せると思うと夜寝るのが楽しい」

 

●「羊と鋼の森」のきっかけ

自宅に来たピアノ調律師に「このピアノ大丈夫ですか?」と聞くと

「大丈夫ですよ。中にいい羊がいますから」と言ったのがきっかけ

 

●ザ・ハイロウズの大ファン

ザ・ブルーハーツの頃からのファン

出産のときもブルーハーツのアルバム「DUGOUT」をかけていたほど

流しっぱなしだったので、

どうしても甲本ヒロトと真島昌利ではない人が歌っている曲が来る

そのタイミングで産むのを拒んだ

3児のうち1名は、キング・オブ・ルーキーで産まれた

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オー・ギャマン・ド・トキオの木下威征

1972年、東京都多摩市に生まれた

会計士の父、母親と妹の4人家族

幼い頃は、山に秘密基地を作ったり、野球、サッカーで遊ぶガキ大将

 

中学生に入ると、生意気、それだけの理由で先輩から制裁を食らった

先輩だろうが、タイマンで仕返し、不良の道を突き進んでいった

中学校は、何とか卒業

 

高校に入学しても変わらず、

学校には行かず、友人の家を溜まり場に麻雀三昧

「腹減ったな」「じゃあ俺が何か作ろうか?」と

キッチンを借りて、余っているご飯と

その辺にある調味料をぶち込んでチャーハンを作った

友人たちは口々に美味いと言いながら食べた

自分の料理で人と喜ばせるって楽しいなという思ったという

 

●逮捕

当時、暴走族の行動に歯止めをかけるべく警察は必死だった

木下の高校にまで警察はやってきて不良たちを一斉検挙

もはや見捨てられてもおかしくない状況に母は、

「ウチの息子が本当に申し訳ありません。いい加減にしなさい!」

泣きながら木下の頬をはたいた

木下は、ハッととした

思っていた以上に老け込んだ母を見た瞬間に、

いい加減 目を覚まさなきゃという思いを起こしてもらった

 

●料理の道へ

しかし不良をやめても やるべきことは見つかなかった

そんな迷いの中、ふと見ていた雑誌の広告に目を奪われた

高校卒業後、料理専門学校の辻調グループ エコール辻東京に入学

木下が入ったフレンチコースには約300人のライバルがいた

中学、高校と学校をさぼったツケが回り、苦悩することに

絶対に負けてたまるか という負けず嫌いの根性で必死に努力を重ねた

成績上位者のみが行けるというフランス留学の切符を獲得

 

●フランス留学

半年間、本場フランス校での授業を経て、星付きレストランで研修にでた

そこで木下は人種差別の壁に直面する

一様に日本人をバカにするフランス人

だが木下は、ここでも負けん気を発揮

徐々に仕事ができることを周りが認め始め、

初めてアントルメッチェ(付け合わせ)の担当に抜擢された

その日は、猫の手も借りたいほどの忙しさだった

木下は忙しさにかまけて、

完全に温まっていない付け合わせを出してしまう

「日本ではこの程度で温まったとなるのか!お前は出ていけ!」

「すみませんでした。もう一度やらせてください」

「我々のレストランは星付きの有名レストランだ。今日来ていたお婆さんは、孫の誕生日に店を予約していたんだ。そんな思いの人に冷めた料理を出してみろ!お客様はみんな特別な思いで料理を楽しみにしてるんだ。お客様のことを考えろよ!」

一食一食に全力をかけて料理を届ける

この22年前に教わったことが、木下の信条となっている

その後の働きでシェフたちの信頼を勝ち取り、

フランスで得た経験を日本に持ち帰る

帰国後、フランス料理店オーバカナルから声がかかり、

そこで数年間修行、料理人として名声を上げた

 

●36歳でオーナー店を出店

名前は、オー・ギャマン・ド・トキオ

直訳すると東京のいたずら小僧

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マサチューセッツ工科大学の助教授でありながら現代アートの天才

モデルのように美しい理系アーティスト

名前の由来は、高校時代のあだ名で、ロシアの人工衛星:スプートニク

本当はイギリス人とのハーフなのだが、

安易にロシア人のハーフとされ、日本人だから「子」を付けられただけ

 

●理系の脳を持つ現代アートの鬼才:スプツニ子!

1985年、イギリス人の母と日本人の父の間に3人兄妹の長女として誕生

両親は2人とも数学者だった

父親の研究のため世界を転々とした彼女だったが、

どこに行ってもハーフという理由でイジメられた

 

●理系

17歳になり日本のアメリカンスクールに進学すると数学の才能が開花

自宅でも13歳にしてプログラミングを習得

自分でゲームを作るゴリゴリの理系女子になった

しかし高校に進学しても疎外感は増す一方

女子高でブスと言われ続け、モテないのを髪型のせいにしようと角刈りにした

しかも勉強が出来過ぎて授業がつまらなくなりサボりだす

それを先生に怒られる、すっかり嫌になってしまった彼女は、

高校3年生を飛び級して、インペリアル・カレッジ・ロンドンを受験

全てA評価で合格

3年後の2006年、世界最高峰の数学科をトップクラスで卒業

次に目指したのは、数学者ではなく英国王立芸術大学大学院

 

●アートの世界へ

インペリアル・カレッジで作曲のトニー先生がイケメンという理由で

それまで楽器を触ったこともないのに作曲の授業をとり、

モノを作る面白さを知ったから

2年後、卒業制作のうちの一つが「カラスボット☆ジェニー」

そしてもう一つが、男性が疑似体験できる生理マシーンを開発し、

VTRを制作「生理マシーン、タカシの場合」

ニューヨーク近代美術館 MoMAで展示、作品が公開された

 

2013年、NASAから依頼され制作

「ムーンウォーク☆マシーン、セレナの一歩」

 

2015年、GUCCIの依頼で新作の展覧会をプロデュースし、

光るドレスを世に知らしめた

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