デビュー/引退秘話」カテゴリーアーカイブ

人気子役:本田望結の姉:本田真凛

 

5人兄妹の次女、妹の望結をはじめ、4人がフィギュアスケート選手

 

2012年、9歳以上11歳以下の全国大会で優勝

 

2013年、11歳以上13歳以下の全国大会で3位

 

2014年、11歳以上13歳以下の全国大会で2位

 

本田真凛と望結は関西大学付属の学校に通学し、大学のリンクで練習

 

●トリプル-トリプルのコンビネーションジャンプ

真凛の武器はトリプル-トリプルのコンビネーションジャンプ

 

安藤美姫によると、とても安定している。ジャンプの後の流れもスムーズなので

私の時代より比べ物にならないくらい優れています

 

トリプル-トリプルのコンビネーションジャンプができるヒミツは、

キム・ヨナにも劣らない回転スピードにある

 

夢は何ですか?の質問に「五輪で金メダルを獲る事。年齢的に出られるのは次の五輪。それで獲れたら一番嬉しいし、まだチャンスはいっぱい残ってると思うのでどれかで獲りたいと思ってます」(2014年12月)

 

●卵焼きの名人

妹の本田望結によると、肉じゃがなど料理は全部できる

クッキーやケーキも完璧。何でもできちゃうお姉ちゃんです

卵焼きの名人です(2016年6月13日 放送

 

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メレンゲの気持ち で紹介

 

15歳の時にアミューズの全国オーディションに出場し、

特技の中国語とスケートボード、

一発ギャグ:村上ショージのドゥ~ンを全力で披露し、

3万人を超える応募者の中からグランプリを獲得した俳優:野村周平

デビュー以降、数々の作品に出演し注目を集めている

 

●俳優:野村周平が俳優になった理由

そもそも俳優になりたいとは思っていなかった

オーディションは、父親が100万円の賞金目当てに勝手に応募

獲得した賞金は、転校した後の学費などで使った

 

●北京語が堪能

中国人とのクォーターで、神戸にある中国人学校に通っていたので

日常会話程度なら話す事が出来る

 

●スノーボード、BMX、スケートボードはプロ級の腕前

5歳から始めたスノーボードは、Willcom主催の大会で優勝するほどの腕前

「メレンゲの気持ち」ではBMXのジャンプで人を越える技を披露

競技用自転車BMXは、オンロードとオフロードの2台を所有

 

●ラーメン大好き

好きなモノはとことん追求する

食べ歩きではなく、近所のラーメン屋に行き続ける

友人とRDC(ラーメン大好きクラブ)を結成

今 ハマっているのは野郎ラーメンの「豚野郎」900円

 

●料理好きの女子が好き

自分に才能がない料理ができる女子が好き

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最強の覆面占い師:ゲッターズ飯田の生態

 

●占いに支配された異常な私生活

生活の全てを占いの指示に従い生きているという

自分の意志でご飯を食べていない、

自分の意志でモノも買っていない、という

・占いに出てるから テレビに出演する時だけマスクを着けている

服のチョイスも占いで出た色を選んでいる

だがトレードマークのハンチング帽を被っているのは、剥げて頭が寒いから

・朝8時を過ぎたらブログやメールをする占いの決まりがある

・買い物をしていい運気の日に大量購入

・カレーを食べると運気が上がる星を持っている

 

●占い師になったキッカケ

1975年、静岡県で生まれた

名古屋の大学に進学後、お笑い芸人:プレゼントというコンビを結成

そんな頃に60歳過ぎの占い師:千川さんに出会う

彼女の占い方はノートに名前を書かせるだけ

「左手に神を降ろします」と手をかざしているだけなのに

飯田の住んでいる自宅の様子を言い当てられた

「本棚があります。赤い本が倒れているから立てといて」

そう言われた飯田は自宅に帰って、

本棚を確かめてみると本当に赤い本が倒れていた

「あなたは東京に行きます。桜が咲いている頃にご飯が食べられる様になる。9月に会った人を大事にしなさい」とも言われた

その後、飯田は本当に上京

占い師の話を忘れかけた頃、

プロデューサーから電話で帯番組のレギュラー出演のオファーがきた

喜んでカーテンを開けてみると桜が満開だった

思い出してみると、その仕事をオファーしてくれたプロデューサーを

紹介してくれた作家さんとは前の年の9月に出会っていた

千川さんとの出会いを機に占いに興味を持った飯田は、

様々な占い師の元を訪れ、独学で占いを学んだ

そして26歳の時に占い師になる事を決断した

 

●ゲッターズ飯田の占術

まず生年月日と名前を書かせ手相を見るだけ

そして数秒後には相手の性格や性癖まで言い当てる

西洋占星術や四柱推命など計13種類の占いを同時に行う

それぞれの占術の共通して当たる部分を抽出する統計学的な占い

さらに「手相を見せてください」で

差し出した手や指の間隔が狭い人は、閉鎖的な警戒心が強い性格

逆に広い人は、オープンで社交的な性格

心理学や行動学も利用して占っている

最大の特徴は、データ収集のため常に無償で占うこと

そうして集めたデータをノートに書き留めた結果…ノートは5000冊に達した

占った人数は4万5000人

飯田いわく「5000人までは当たらなかった。5000人超えたら当たるようになり、2万人超えたら完全に外れないようになった」

 

●金持ちの男の見極め方

飯田によると、成功者を分析すると共通点がある事が分かったという

1、リビングにティッシュをそのまま置かない

2、財布の値段で男の年収が分かる

飯田の統計によると、財布の値段の200倍が男の年収

3、金持ちの好きな食べ物は うどん

礼儀正しい真面目な人が好きな食べ物は 白い食べ物

うどん好きは面倒見が良い経営者タイプ

自分がなりたいと思った人のマネをどれだけすかが成功の一番の近道

 

●玉の輿に乗る女性の法則

1、チョコを食べる

2、服はオレンジ色かピンク色

3、胸元が開いた服を着たらモテる

4、2015年は花柄が良い→金運の良い男性が花柄の女性を選びやすい

 

●ゲッターズ飯田オススメのパワースポット

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80年代に女子プロブームを巻き起こしたクラッシュ・ギャルズ

長与千種とライオネス飛鳥は、爆報!THEフライデーで再会した

 

1983年、ライオネス飛鳥と長与千種がクラッシュ・ギャルズを結成

空手殺法と息の合ったコンビネーションで女子中高生のハートをつかみ、一躍人気者に

年間310試合、テレビ中継は週3回、最高視聴率は18.6%を記録

歌番組、バラエティ、ドラマなどにも多数出演

85年のブロマイドの売上は、岡田由希子、いとうまい子を抑えて1位に輝いた

しかし、人気絶頂の中、1989年、

長与千種が突然引退しクラッシュ・ギャルズは事実上の解散

パートナーの飛鳥には一切相談せずに引退を決めた

●クラッシュ・ギャルズ 解散の真相

1980年、ライオネス飛鳥と長与千種は同期入団

リングの外でも仲良しだった2人は、試合が終わった後も寮でお喋り

同期ではあったものの年齢が一つ上の飛鳥にとって長与は可愛い妹的存在

長与の誕生日には、毎年のようにプレゼントを渡した

女の友情を越えた特別な絆で結ばれていた2人…

しかし試合を重ねるたび、2人の立場が逆転する

か弱かった長与の才能が開花、歌唱力も抜群で、トークも達者、

気付くと女子プロレス界の中心にいるのは長与だった

この頃から飛鳥にとって嫉妬の日々が始まる

ファンの数は8対2で圧倒的に長与

飛鳥は妹のように可愛がっていた長与に完全に喰われてしまった

その嫉妬は、苛立ちに代わり、ついには長与にぶつけられる

ある日、飛鳥に親友のある女性が、

「何でプロレスラーの飛鳥さんが歌わなくちゃいけないの?」

その言葉は芸能活動に嫌気がさしていた飛鳥の心に強く響いた

そして飛鳥は長与に対して無言の抵抗をみせる

今までイメージカラーだった青のコスチュームを突然 黒に変えた

飛鳥は芸能活動を停止しプロレスに専念する事を宣言

全く知らされていなかった長与は言葉を失った

飛鳥に裏切られたと感じた長与も衝撃の行動に出る

1989年5月、飛鳥に相談なく突然の引退

クラッシュ・ギャルズは事実上の解散

長与を憎しみながら、一人残された飛鳥は、その3か月後 引退した

●長与千種 引退の真相

クラッシュ・ギャルズの人気が下降しつつあった1989年

長与は会長に「来年からクラッシュのポスターを小さくする」と言われた

「何でですか?」「下をそろそろ伸ばさないといけない。そろそろ潮時だろう」

「クラッシュで稼ぐのは解散試合が最後だ」

会社はクラッシュ・ギャルズを解散させるつもりだった

すると長与は「引退します。好きな人がいるんです。結婚も考えてくれています」

解散試合をしてしまえばクラッシュ・ギャルズは完全に消滅する

そう考えた長与は結婚という嘘をつき会社と対立

「クラッシュは誰にも解散させない…」解散を阻止するため1人で引退した

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「クリアしたことがある迷路と誰もクリアしたことがない迷路…どっちをクリアしたいかと言われたら、僕は誰もクリアしたことがない迷路に行きたい」

 

2012年9月、プロ野球志望届提出

日本プロ野球とアメリカのメジャーリーグからオファー

 

2012年10月、メジャー挑戦表明

「メジャーに行きたいと思ったのもおそらく厳しいと思ったから」

 

2012年12月、日本ハムに入団

夢よりも手堅さを選んだかに見えたが、

日本ハムが大谷選手の為に用意した育成プラン:二刀流が彼を動かした

「無理だ」「厳しいのでは?」とも言われたが、そこに迷いはなかった」

 

●二刀流を選んだ大谷翔平のマインド

 

投げても打っても抜きん出て、勉強もでき素直に大人の言葉に耳を傾ける

 

甲子園で活躍した菊池雄星に憧れ、岩手県の花巻東高校に進学

菊池選手のようになりたい、そんな動機だった

そんな考え方を、野球部の佐々木監督は良しとしなかった

「菊池に憧れているうちは菊池に及ばない。見えるものや常識にとらわれていてはいけない」

大谷は佐々木監督と誰も成し遂げていない目標を目指す約束をした

「160キロはいける」と佐々木監督は大谷の背中を押した

それは、アマチュア野球史上 最高球速

 

大谷は読書を通じて、様々な生き方を出会った

中でも惹かれたのは、勝海舟、坂本龍馬、スティーブ・ジョブズ…

古い常識を破り、新しい時代を切り開いた人

「時代を変えてきた人たちの考え方は勉強になる」

 

高校2年生の冬、監督から卒業までの目標を書くための紙を渡された

大谷には監督と約束した160キロという目標があった

「書いたからには達成しなくてはいけない」

“夏の大会までに163キロ出す!”と大谷は書いた

163キロを目標にして最低でも160キロを出す考えだった

そして高校3年生の夏、160キロに到達した

「160キロを書いていたら、158キロで終わっていたかもしれない…」

と振り返った

 

大谷は誰もクリアしたことがない迷路を選んだ

これが大谷のその後の人生のマインドを確立した

 

●平均球速:152.5㎞/h(2014年現在)

メジャーリーグのトップの平均球速が150km/h

リトルリーグ時代から120km/hを出していた

 

●162km/hを投げるヒミツ

投げた後、踏み込む足を後ろに引く事で、

下半身が速く回り、力が最大限ボールに伝わる

 

●恵まれた体

身長:193㎝、腕の長さ:85㎝、胸囲:108㎝、股下:93㎝

柔らかい肩関節

 

●専用の机と椅子を特注

高校時代、足が長すぎる大谷に合う机と椅子がなかったので専用で特注

真面目な生徒だったのに、机に足が収まらず、

大股開いて机の両脇に出すしかなかった

態度が悪いと誤解されてしまうかもしれないと、

工場で鉄の塊で床の設置面にあて底上げして高くしてもらったという

 

●肩甲骨の柔らかさ

2008年に行われた日立3ツアーズ選手権で石川遼が披露した肩甲骨ストレッチ

中学時代、たまたまその模様をテレビで観ていた大谷は、

これは野球にも役に立つと思い、

石川遼を真似て、練習に練習を重ねて自分のモノにした

 

●中学2年まで父親とお風呂に入っていた

小~中学時代、コーチと選手の関係だった父は、

他の選手と同様に厳格に接していた

家に戻ると一転、親子水入らずでコミュニケーションをとる時間を大切にしていた

お風呂場は体や筋肉の成長具合を確認するのにもうってつけ

子供時代、両手打ちだった大谷が、左打ちになったのも

お風呂場での父の一言が決め手となった

 

●高校時代につけていた目標達成用紙

中心に書いているのが、当時大谷が目指した「8球団からドラフト1位を受ける」

その周りには、その夢を実現するためにやるべきことを明記

「体づくり」「コントロール」「キレ」「メンタル」「人間性」「運」「変化球」「スピード160㎞/h」

 

さらにその周りに8つの要素を叶えるためにやるべきことを明記

「スピード160㎞/h」→「軸で回る」「体幹強化」「可動域」「ライナーキャッチボール」「体重増加」「肩周りの強化」「ピッチングを増やす」「下肢の強化」

 

「運」→「あいさつ」「ゴミ拾い」「部屋掃除」「道具を大切に扱う」「プラス思考」「応援される人間になる」「本を読む」「審判さんへの態度」

 

目標を実現させるためにやるべきことを72に細分化し、掲げた

 

●大好物は、クレープ

試合で活躍した日は、コンビニで大好きなクレープを買うという

ストレス発散には大量の甘いものを摂取する

 

●試合中にお腹が空くとケータリングのシャウエッセンを食べる

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