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俳優:津田寛治のデビューのきっかけは、ビートたけしの粋な計らい

 

●デビューは北野武監督の「ソナチネ」

喫茶店のウェイターのバイトをしていた25歳の頃、

坊主頭じゃない役はやりたくないと常に坊主にしていた

働いていた喫茶店には、ビートたけしが打ち合わせでよく訪れていた

 

津田は隙を見て、自分のプロフィールと手紙を渡した

たけしは「分かりました」と綺麗に折りたたんでポッケに入れてくれた

オーディションだけでも呼んでもらいたかったが、実現しなかった

 

しばらくして たけしは、クランクイン前日に喫茶店に訪れた

スタッフと打ち合わせしていた たけしは急に津田の方に振り向き、

「お兄ちゃん出番だよ」と手招き

オーダーかな?と思って伝票を持っていくと

「この兄ちゃん、ウェイターやってるんだけど こんな派手な服を着てウェイターやってんだよ。だから俺がな「ウェイターならウェイターらしいカッコして働け」と一言いうから。この兄ちゃんアップで「すみません」というシーン増やすから」

とスタッフに説明

 

●カラオケボックス

マネージャーによると、津田は台本をカラオケボックスで覚えている

自分で相手のセリフを読み、MP3プレーヤーに吹き込む

自分の出番になると再生を止めて、セリフを読むスタイル

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愛人の子供だった畔柳は、母方の姓で育った

父と会うのは、年に一度 外食するか、旅行に行くぐらい

 

地方から出てきた17歳の母は、

20代の父と出会い、以来 約40年間 愛人関係が続いた

 

その愛人手当は、1年で1千万円ほど

私立の高校大学の学費も、手当とは別に全て父が払っていた

大学のお祝いで、ワゴン車がプレゼント、

中学の誕生日のプレゼントがゴルフの会員権

なので畔柳は貧乏だと思ったことがなかった

その手当は畔柳が30歳になるまで続いた

その総額は5億円にのぼる

しかし畔柳は、父が何で稼いでいるのか、いまだに知らない

 

畔柳が30歳になった時に、父からもう畔柳家にお金を送れないと宣告された

理由は「借金25億円ある。そのうち10億は返したけど今は15億残っている」

しばらくすると父から手紙が届いた

そこには“2年 探さないでくれ”と書かれていた

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1997年、TUBEの前田亘輝と結婚するも2001年に離婚

3年間の交際実らせ2012年12月25日、

会社経営者と再婚した女優:飯島直子

 

●そんな夫が明かす飯島のダメ出し

・洗剤の注意書きの意味が分かっていない

混ぜるな危険と書いてある漂白剤を、混ざらないようにそーっと扱っていた

容器の中が混ざってしまってはいけないと思っていたらしく

「注意書きが足らない。ジャブジャブしてもいいよと書いてくれれば」

 

・キッチンペーパーを洗って干して再利用している

使ったらキッチンペーパーを洗って干しておく

翌日朝になると乾いているので、また何かに使っている

飯島の母は、キッチンペーパーはもちろん、

紙ナプキンも洗って干して再利用していた

当時、飯島は貧乏くらいと思っていたが、気付いたら自分もやっていたという

 

●夫婦の約束事

夫によると、どんなに忙しくても疲れていても、

いってらっしゃいのキスとおやすみのキスは3回させられる

 

●ケンカ

夫によると、一週間以上 口をきかないこともあり、とても苦痛

直ちゃんが話しかけてくれたら ようやく仲直りできる

 

●地元

・中学生時代は、地元:日吉で有名な暴れん坊だった

日吉台中学校の目の前にあるサンドイッチ屋の店主によると

「もう暴れちゃって。悪いことは悪かった、噂するほど。人を気付つけたりするようなことはなかったけどね」

 

・中学生時代、当時の番長と付き合っていた

幼なじみの齋藤和行によると

「飯島は一番人気があって、お付き合いしていたのが、ウチの中学ではNo,1の奴」

 

・中学時代のあだ名は「試験官直子」

友人の家に大勢で落書きをしていたとき、飯島が試験官の落書きをしていたから

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2005年、17歳でミスマガジン つんく♂賞を受賞

その後、つんく♂プロデュースで歌手としてデビューし、

メガネをかけたアイドルとしてブレイク

 

●メガネをかけているワケ

ミスマガジンのオーディションを受ける際、

どうやったら真面目に見えるんだろう?と友人に相談

友人が伊達メガネをかけてみたところ

「超真面目っぽい」と自らもかけるように

16000人の中でメガネをかけているのは時東だけ

「面白い奴がいる」と つんく♂が目をつけた

 

●つんく♂プロデュース

エクステをつけたり、金髪にしたり自由だった生活から

オーディション後、縛られる生活に変貌

髪型、衣装、メガネも全て指定され、

私生活でも常にメガネ着用を義務付けられた

 

●デビュー前から付き合っていた彼氏

16歳から交際を始めて20歳すぎまで続いていた

事務所にも報告し、公認だった

そこで彼氏がいるのがバレないようにルールが決められた

外で会うのはNG、彼の家もNG、時東の実家で会うのはOK

彼氏とは会えるが、ほんの数時間

本人いわく「まぁ数時間あればできるんで…」

 

●時東ぁみは今…ベトナムで活躍

ベトナムでのライブは超満員

ベトナムのファミリーマートのおむすびには、

イメージキャラクターとして時東ぁみが起用されている

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幼少期は実家が金持ちだったタレント:戸田れい

父は年商10億円のIT社長

当時の自家用車は、約550万円のデロリアン

お金も稼いでいたが、借金も8億円抱えていた

事業が芳しくなくなると、借金だけが残り、貧乏生活に変貌

テーブルも椅子もない、床で食事をすることに

 

●ウサギのエサ

小学校になると戸田は、自ら飼育員に

その狙いは、ウサギのエサであるキャベツ

ウサギにあげつつ、戸田も食べていた

 

●近所のネコの乳

近所のネコが道端で子猫に乳を与えていた

気になった戸田は、這いつくばって子猫と一緒に、その乳を飲んだという

牛乳より甘い、らしい

 

●保険の外交員だった母

営業成績のため自分にも多額の保険をかけていた母

そんな母の口癖は、「私が死んだらこの家にいっぱいお金が入る」だった

ある日、母に連れられ滅多に行くことがないファミレスに

戸田は子供ながらに最後の晩餐を感じていた

久し振りの外食だったのに味も感じない

ファミレスを出て駅に歩いていった途中、

店じまいをしていた焼き芋屋に出くわす

余ったお芋を「お嬢ちゃん これ持っていきな」と貰った

芋を貰った瞬間に母が死ぬと思い、涙があふれて来た

「お金がなくても食べ物には困らないよ!」と必死に母に訴えた

実は、母は死ぬわけではなく、

保険の契約が決まったお祝いでファミレスに行っただけだった

 

●ランドセルが買えず、斜めがけバッグで登校

「何で れいは、ランドセルじゃないの?」と聞かれると

6年間 背負うランドセルは体質に合わなく脇がただれてしまうと、言い訳を通した

 

●エンジェルブルー

流行っていたブランド:エンジェルブルー

昔 1着だけ買ってもらったエンジェルブルーのタグを、他の洋服に縫いつけ回ししていた

 

●10円のマルカワのフーセンガム

1度噛んだガムを指に絡め取り、窓の外の手すりに置く

次の日に食べると甘みが復活するという

 

●イチゴだと思ってジャンボタニシの卵を食べていた

用水路にあるイチゴのような物体を姉から「イチゴだよ」と言われ食べた

イチゴの味ではなかったが、毎日のように食べていたという

 

●芸能人だけと給料はゼロ

そんな戸田は、現在、フランス料理店の厨房でバイトをしている

バイトしていることを誰にも話していない

フランス料理店のバイトは8年続いている

芸能の仕事がないのが恥ずかしく、毎朝、ツイッターに

“おはようございます。今から仕事行ってきます”と呟いている

いつもスタバを飲んでいるツイートしているが、

無理して買っているので、ほぼ空になった容器を1日中持ち歩いて撮影している

家で淹れたインスタントコーヒーをスタバの容器に入れて持ち歩くことも

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