交際1年半で結婚した女優:高梨臨とサッカー選手:槙野智章

 

高梨は、槙野をとん汁が好きだから「とんじ君」と呼んでいる

 

●なれそめ

2人の出会いは、高梨が良く行く居酒屋に、

たまたま槙野が友人に呼ばれて来ていた

たまたま高梨の友人と槙野を呼んだ友人が、

知り合いだったので同じ席で喋り、盛り上がった

すぐに槙野から食事に行こうの誘いがあったが、

高梨は仕事の都合がつかず断り続けていると

「出会った次の試合の時に僕が2点入れたらご飯行こう」とアプローチ

見事、2点を入れ、高梨は、誘いに応じることに

 

●プロポーズ

高梨の誕生日にホテルを予約し、バラの花束が100本届けられた

すぐにオモチャの大きな指輪と結婚してくださいと書かれた紙が届けられた

 

●高梨臨は、負けず嫌い

槙野によると、

旅行でハワイに行った時、早朝一緒に10㎞をランニング

残り2㎞くらいで高梨がいきなりペースを上げ始め、

負けられないと槙野は全力で高梨を置き去りにした

高梨は槙野の耳元で「クソッ負けた」と悔しがった

「こっちは日本代表だから、日の丸背負って戦ってるから」と言うと

「だから何?私だって女優魂 背負ってるから」と対抗してきた

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●メロン記念日の大谷雅恵は今…貯金ゼロでアルバイト生活

 

1999年、第2回モーニング娘。妹分オーディションに合格し、

つんく♂プロデュースで結成したメロン記念日

 

結成した翌年には、武道館ライブに出るも、

その後、2010年に解散

 

独身の大谷は、7帖のワンルームマンションで一人暮らし

時給980円だが、ネイリストとして週5日働いている

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金髪先生として人気を集めたドリアン助川

バンド叫ぶ詩人の会として活動していた彼を有名したのは、ラジオの人生相談

イジメや援助交際など中高生のシリアスな相談に

真摯に答える姿が反響を呼び、1回の放送で1万件の相談が来たことも

人気絶頂の1997年、バンドメンバーが覚せい剤使用により逮捕

バンドは解散し、ドリアン助川は突如 出演番組を全て降板し姿を消した

 

●芸能界を干されたドリアン助川は今…三宅島でトマトを栽培している

1990年、29歳の時、一般女性と結婚、一人娘に恵まれた

しかし突然、妻と娘を置いて三宅島に移住

イタリア原産のトマト サンマルツァーノを栽培している

 

バンド解散後、単身ニューヨークに渡り、

そこで偶然食べたトマトの美味しさに衝撃を受け、

トマトに情熱をささげることを決意

フランス、イタリアなど各国のトマトを食べて研究

三宅島に移住したのは、火山灰を好むサンマルツァーノのため

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武田鉄矢が芸能界で活躍するきっかけとなった海援隊の「♪贈る言葉」

今でも卒業ソングの定番となっている

 

武田鉄矢によると、フォークシンガーは事実がないと歌が作れない

この歌は、別れの歌、失恋でできたもので、全く贈る言葉ではない

武田鉄矢が女性にフラれてできた歌

 

さらに、

♪人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから、の歌詞は、

太宰治の言葉で、元は、

“人は憂いが多いほど人に優しくできる だから人間として一番 優れている”

この言葉を呼んだ武田は、いつか使おうと思っていた

 

さらに、

曲タイトルの「♪贈る言葉」は、

芥川賞を受賞した柴田翔 著作の「贈る言葉」から持ってきた

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●犬より猫っぽい

自分が都合がいいときは行くけど、相手から来て、

自分がそのタイミングじゃないと「今違うから」と相手にしない

 

●頼みごとをするときは、無意識に上目使い

マネージャーいわく「千葉さんは何かお願いする時、上目使いしますよ」

 

●別れ際のLINEは、そっけない

距離が離れたときのLINEの返事は、“うん あぁ わかった…”

基本的にパッキリ未練なく別れを告げる

中途半端に別れを告げるのは、失礼だと思っている

 

●カラオケではゴリゴリのロック

母親によると、帰省した時、

家族でカラオケでお酒を飲み、銀杏BOYZをシャウトしていた

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