堀田いわく、ラーメンが好き

 

味噌ラーメンが特に大好き

ラーメン界の中で味噌ラーメンは、神

味噌ラーメンの良さは、甘さと辛さが両立できていること

 

●他のラーメンは、邪道

醤油ラーメンを、猫背でやる気ない感じ

豚骨ラーメンを、頑張りすぎちゃってる、肩で風きって歩いている感じ

 

●麺を途中で切ると

盛り上がってきたものが途中でフェードアウトする感じがする

最後までツルっといった方が、口の中が盛り上がる

カラオケ歌っていて途中で曲をブチって切られるのと一緒

具と麺を口の中に入れる瞬間がたまらない

 

●大好きなラーメンを食べた後は、

ジムでバッキバキに鍛え、カロリーを消費する

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人気番組「TVチャンピオン 大食い選手権」の名物MC:中村ゆうじ

中村にあだ名をつけられた出場者には、ジャイアント白田、ギャル曽根など

2016年、突如番組を卒業

 

●大食い番組の名物MC:中村ゆうじは今…バツ3!新大久保のアパートでヨガ生活

 

現在、中村は、新大久保の家賃10万円のアパートで一人暮らし

 

中村はヨガにハマり、ヨガの講習会を開催

腹直筋を波打つように動かすヨガの呼吸法「ゾウの鼻」健康法を教えている

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山口百恵、斉藤慶子、柏原芳恵など数々の女優を撮影してきたカメラマン加納典明

過激な毒舌でバラエティやワイドショーのコメンテーターとして人気者に

1993年に創刊された雑誌「月刊ザ・テンメイ」

過激なヌードの全ページ撮りおろし

すると毎月70万部を売り上げる異例の大ヒット

さらに号を重ねるごとに過激さがエスカレート

1995年、わいせつ図画販売の容疑で逮捕

以降、テレビの露出は激減した

 

●毒舌カメラマン:加納典明は今…画家に転身

 

自宅は、東京にある2階建て 4LDK、リビング20帖

現在77歳の加納は、バツ3の独身

 

加納は今、過去に撮影した写真を使用して絵を描いている

大きく印刷した写真にアクリル絵具で色づけする加納オリジナルの技法

今では全国各地で個展を開催し、作品は完売続出

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すしざんまい木村清は、家が貧乏すぎて、

5歳からウサギや鳩や鶏を飼育して千葉大学に販売していた

 

その後、鶏の卵の販売、耕作、新聞配達、ゴルフのキャディー、

イチゴ捕り販売、一升瓶の回収と金を稼いだ

 

中学卒業後は、パイロットに憧れ、航空自衛隊に入隊

しかし訓練中の不慮の事故で目を負傷、自衛隊を退官

 

パイロットの夢を絶たれた木村は、百科事典のセールス、水産加工会社で働いた

そこで学んだ交渉力や営業力を生かし、1979年、27歳で木村商店を設立

 

冷凍食品の営業、温かい弁当の製造販売、持ちかえり弁当店、すしネタの開発・卸・養殖、居酒屋、海産物や農産物の輸入・販売、コンテナカラオケ店、移動式バスカラオケ、屋台村、スナック村、コンビニ店、レンタルビデオ、マグロの卸・販売、ガリの製造販売、ラーメン店、パチスロ店、不動産の仲介・販売など80個以上のビジネスを展開

 

しかしバブル崩壊により150億円の借金を抱え、全ての事業を手放す

 

冷凍食品会社で魚を扱っていた経験から、わずかに残ったお金で寿司店を開業

2001年、当時考えられなかった24時間営業の寿司店「すしざんまい」をオープンさせた

 

●コンテナを使ってカラオケボックスを作った

水産加工会社で働いた経験からコンテナを1つ3万で何個も購入

30~50万で内装を施し、モーテルを作った

オープンすると警察が来て「風営法、持っているか?」と問い詰められ、

ベッドをソファーにすり替え、モーテルではなくスナック村としてオープンさせた

木村社長いわく、カラオケボックスの先駆けだったという

 

●炙りトロを発案したのは、木村社長

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日本画家:伊東深水を父に持つ女優:朝丘雪路は、箱入り娘として育った

 

11PMで大橋巨泉にボインちゃんとあだ名をつけられた朝丘は、ブレイクした

胸の大きい芸能人の先駆けだった

 

2018年に亡くなった朝丘の告別式に

参列した朝丘の元マネージャーが別れの挨拶をした

 

胸が大きい、かつマルチに活躍されるタレント像を朝丘さんから垣間見た、このことが私に多少なりとも影響を与えたことは間違えございません

 

その元マネージャーこそが、野田義治

後に胸の大きいタレントブームを起こしたタレント事務所の社長

 

野田が朝丘のマネージャーになっていなければ、

胸の大きいタレントは確立されていなかったかもしれない

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