●肉は1年に1回

年配の家族が多く、夕飯は5時から

メインは、大体 魚

家族の誕生日は、主役の好きなものが食べられる

祖父は、マグロ、祖母も消化に良いモノ

母とカレンの誕生日だけ、ステーキが食べられる

 

●風呂の後は、生卵サイダー

祖母が考案した夏だけ飲む生卵サイダー

生卵をコップに割り、かき混ぜ、

常温のサイダーを入れて、一気飲みする

カレンいわく、美味しいらしい

 

●トイレのドアは閉めない

祖父、祖母、母、カレンの家族全員がトイレのドアを閉めない

その理由が、

家族全員が宅配を好み、宅配業者が、

毎日 家に来るのでピンポンが聞こえるようにドアを閉めない

犬の出入りがあるのでドアを閉めない

排泄の匂いが溜まるのが嫌だからドアを閉めない

 

●母は、ウクライナ人しか愛せない

日本にロシア人を呼び、バレエスタジオを経営している

 

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アイドル時代から仲のよい岩佐真悠子によると

エリカの度が過ぎる行動に迷惑をかけられています

 

一緒にクラブに行くとエリカは、

かなり露出が激しいドレスを着ているにもかかわらず、

いつもノーブラなんです

 

そんな恰好なのに、

はしゃぐから横から何度も見えそうになり、

そばでハラハラしています

 

さらにお酒が入るとテンションが上がり過ぎて

周りのことなどお構いなしに

叫んで踊って笑って泣いて大騒ぎ

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●家では騒がしい

母によると、家ではとてもうるさいです

あまりにも騒がしいので

「お願いだから私に静寂をちょうだい」」と真剣に頼んでいます

 

土屋が鼻歌を歌っていると音大卒の母に

「そこはもうちょっと上げるべきでしょう」と指摘される

あまりにもうるさいのか「来世では私に絶対話しかけないで」と

来世で絶縁宣言された

 

●メールの返信が遅い

大泉洋によると、

忘れた頃にすっごく長い愛情のこもったメールが返ってくる

5日、6日返さないことが多い

 

●ジャージにリュックで街を歩いている

中学生の部活帰りみたいな恰好で歩いている

リュックのベルトをきっちり締めている

オシャレには興味がない

これまでは服は、温かければいい程度で考えていたという

 

●趣味は高尾山登り

登って焼いた みたらし団子を食べるのが好き

 

●We Are The World

友人のモリタホノカさんによると、

カラオケに行くと、必ず「We Are The World」を歌う

「これ歌うと寄付されるんだよ」と言いながら、

1人でワンフレーズずつ原曲を再現しながら歌い方を変えて歌う

 

●料理が好き

マネージャーによると、

控室や移動中の車内でまな板と包丁を取り出して

トントンとサラダを作ったり

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個性的すぎる関ジャニ∞安田の生態

 

●ファッションの参考にしているのは、イソギンチャクとベラ

基本的にファッションが派手

派手すぎて、堂本剛に「あんまり側に来ないで」と言われたことも

 

●エレベーターの閉まるボタンを押したことがない

基本的に急がない

目的の階を押すことも忘れていたことも

 

●家では裸

誰かが家に訪れると急いで服を着る

下着は仕事では穿いているが、普段は穿かないので

マネージャーにパンツを用意してもらうことも

 

●休み日

朝から映画館行くか、ほとんどベッドに横になっているか

ご飯を食べて疲れたら途中で小休止して寝ることも

 

●ワンピースを良く着る

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1989年、アイドルデュオ パンプキンとしてデビューした小川真澄

同期にはribbonやCoCoなどアイドルグループ全盛期

激しいアイドル戦争に敗れ、1993年にパンプキン解散

 

●パンプキン小川真澄は今…2度の離婚、障害児の子育てに追われている

小川は、現在 鳥取県米子市に住み、

タイヤ販売所のナガミの経理として働き、3人の娘を育てている

 

次女には知的障害がある

人とのコミュニケーションが苦手で

突然幼い行動をしてしまうなど

物事の判断が上手くできず、パニックに陥ることも

彼女は現在、米子市内の養護学校に通っている

実は生まれつき障害があったわけではない

 

1993年、パンプキン解散、21歳で芸能界を引退

1994年、バイト先で知り合った男性と結婚

夫の実家がある鳥取県に移住し、長女と次女を出産

1999年夏、生後半年の次女が発熱、39℃を超え、一晩中 嘔吐を繰り返した

翌朝、近所の診療所へ、風邪と診断

その夜、再び発熱

病院へ行かず、翌朝 病院へ連れて行くことに

翌朝、総合病院へ行くと、髄膜炎と診断された

何とか一命はとりとめた

それから5年後、次女の成長の遅れを感じ、検査へ

髄膜炎の後遺症による知的障害と診断された

次女の障害が分かったころ、夫婦関係が悪化

2002年、結婚8年で離婚

2006年、34歳で再婚したが、夫の単身赴任をきっかけに

夫婦仲が上手くいかなくなり、2度目の離婚となった

子供3人を育てるため、週6かの事務仕事

どれだけ働いても月の収入は10万円ほど

 

小川は、あの時 すぐに病院に連れて行けば、と後悔している

 

2013年8月、勤めているタイヤ販売店社長と3度目の結婚

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