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2歳年上の姉:音花ゆりには、子供の頃から夢があった

それはタカラジェンヌ

そのためクラシックバレエや日本舞踊を習いはじめ、

人生のすべてを宝塚入団に捧げた

相武は宝塚には全く興味がなかったが、

姉:ゆりの夢を手助けしようとした

 

2001年、姉は宝塚に入団、夢を実現させた

そんな姉は、歌唱力が優れた人しか

選ばれない花形スター:エトワールを何度も演じた

2015年、そんな姉が14年在籍した宝塚歌劇団を退団することに

 

2015年5月、父、母、相武の3人でラスト公演を観に

舞台で演じる姉の姿が目に入ると、

相武の目に自然と涙があふれてきた

そんな時、会場中に響き渡る嗚咽が聞こえてきた、父だった

その豪快な泣き姿は舞台上からも分かるほど

父が泣きすぎて相武の涙も引いてしまったという

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●タレントに転身した大渕愛子の元秘書:火宮樹里

 

弁護士:大渕愛子を献身的に支えてきた元秘書:火宮樹里

実は火宮は、10年間、娘役として活躍した元タカラジェンヌ

 

宝塚を辞めた火宮に大渕が秘書としてオファー

宝塚の厳しい訓練を頑張りぬいた責任感、

悩みを抱えた人を明るい気持ちにできる華やかさがスカウトの理由

 

大渕のタレント活動の際には

マネージャーとし撮影現場にまで同行

 

しかし大渕の華やかな活躍を目の当たりにした火宮は、

「楽しそうだな、私も出たい」と表舞台への欲求が限界に達し、

大渕の出産前日に法律事務所を退職した

 

今後は、美夢ひまりの芸名で活動をするという

 

2013年に結婚した夫は、表参道にあるフレンチレストランのオーナーシェフ

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爆報!THEフライデーで紹介

1961年に発売された「♪上を向いて歩こう」

歌っているのは昭和の大スター:坂本九

そして妻は女優:柏木由紀子

2人の娘を授かり、幸せな毎日を送っていた

しかし1985年8月12日、日航機123便が墜落、

犠牲者の中に坂本九もいた

 

●坂本九の娘:舞阪ゆき子は今…タカラジェンヌから犬の服を作る会社の社長に転身

 

長女:花子は現在 女優・歌手として活躍

次女:舞子は、17歳の時、宝塚音楽学校に入学

その後、元タカラジェンヌの女優:舞阪ゆき子として活躍した後、

36歳で都内のフットサル場を経営する社長と結婚

そんな彼女は現在、

犬の洋服をデザイン・販売する会社:chu-cheの社長に

自宅でデザイン、検品、梱包、発送を1人でこなしている

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亜沙かおりは星組の娘役として活躍 、本名は山之内敏子

 

退団後、人気女優として活躍する人もいる一方、

そのほとんどが別の人生を送る

 

元タカラジェンヌのタクシー運転手:亜沙かおり

 

様々な音楽活動をするため、1972年に7年で宝塚を退団

同じく歌手をめざし活動していた光雄さんと結婚

 

6人の子供に恵まれ、幸せな人生を送っていたのだが、

光雄さんが事業に失敗、ほとんど働かなくなった

 

それから元タカラジェンヌの山之内が、

トラック運転手、中華料理店など昼夜を問わず家計を支えた

 

光雄さんは8年前に他界

 

山之内は荏原交通株式会社でタクシー運転手に転職

1日の走行距離は300㎞、売上は常に社内で上位をキープ

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ウチくる!?で紹介

 

元宝塚:紫吹淳のばあや こと菅由美子さん(マネージャー)

 

紫吹が20歳の時、

元々宝塚のいちファンだった ばあや こと菅由美子さんは、

友人に紹介された舞台で輝いていた紫吹に目を奪われた

 

それは紫吹が まだ注目もされていない時代

そんな紫吹のお手伝いとして運転手を買って出た

そのうちファンクラブを仕切る代表となった

 

ばあやには、すでに夫がいたが、紫吹優先の生活を始めた

 

その奉仕に金銭は発生しないので、貯金を切り崩しながらだった

 

トップスターへ登る階段をはじめ、

苦悩、歓喜、退団と連れ添い、

一緒にオスカーに所属、雇用され現在に至る

 

紫吹いわく「親子より強い関係。私より先に死んではならない」

 

ばあや こと菅さんによると「生活臭さが出ないように周りが身の回りのことをやるようになり、要望を何度も応えてしまったことが、今の家事は何もできない紫吹淳を創ってしまったのではないかと少し反省しています」

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