重厚な演技に定評がある俳優:石橋凌
活躍の場は国内にとどまらずハリウッドにも進出している
元々は、伝説のロックバンド:ARBの元ボーカル
「僕はマイノリティ、何とか茶の間に切り込んでいきたい」と語る
●音楽
1956年、福岡県久留米市 5人兄弟の末っ子として生まれた
兄たちの影響で聴き始めたロック
高校に進学するとバンドを結成
数々のスターが巣立ったライブハウス:照和のステージでライブを行った
東京のレコード会社からソロでスカウトがあったが、
バンドで上京がしたいと全て断った
お世話になっていた地元ラジオ局の方に背中を押される形で上京
最後のチャンスと思って受けたARBのボーカルオーディションで合格
しかし当時の事務所が期待していたのは、アイドル路線のバンド
ロックを志していた石橋は事務所と決別
ワンボックスカーで全国のライブハウスを回って頭角を現した
しかし武道館でライブをしてもマイノリティ、
幼い時に聴いていたビートルズ、ストーンズ、CCRは、茶の間に届いている
その壁が超えられず、ここまでかなと思った時に、松田優作に出会った
●松田優作
直感的に自分が抱えている悩みを相談できると感じ、石橋は打ち明けた
「お前がいる音楽よりも映画の方が大きい、映画で名前と顔を売ってみろ」
松田優作は自身の初監督作品「ア・ホーマンス」で石橋を抜擢
石橋は これを機に俳優業に乗り出した
その後、松田優作はハリウッド映画に出演
しかしこれからという時に突然 病に倒れた
手を差し伸べてくれた松田優作の意志を継ぐべく石橋は、
ハリウッドで通用する日本人俳優になると決意を固める
そのために音楽活動を一旦 封印、俳優業に専念する事に
国内で実績を積み上げ1993年には、念願のハリウッドデビュー
その後も数々の映画に出演
石橋は松田のご仏前でハリウッド俳優になった事を報告し、
俳優に専念することに一区切りとし、音楽活動を再開した
●ジョン・レノンのような普遍的な歌を歌えたらいい
「このままじゃ終われない」と語った
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