母によると、手のかからない子で記憶力も良かった
九九も幼稚園で全て覚えていたほど
そんな手のかからない子が、
中学3年生のとき、進路について両親に伝えた
「高校には行かずプロレスラーになりたい!」
「プロレスって死んじゃうこともあるんだよね?」
「それでもプロレスラーになりたい!」
「辞めたくなったら いつでも帰ってらっしゃい」
15歳で神戸にあるウルティモ・ドラゴンが
経営するプロレスラー養成所 闘龍門に入門
その頃の闘龍門は練習生で飽和状態になっていたため、
コーチを務めていたミラノコレクションA.T.によると
何人か辞めさせるために過度に厳しい練習をメニューを課していた
15歳のオカダは、そのターゲットとなり、睡眠時間以外、
心身ともに休まることのない暮らしを強いられた
中卒のオカダは、他に行くところがないと考え、耐え抜いた
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