野球を始めたのは小学1年生の時
原辰則の甥っ子である菅野の夢は、巨人でプロ野球選手になることだった
大学まで野球をしていた父:隆志さん、息子への指導は厳しかった
チームの練習が終わっても、休む暇もなくダッシュ練習
ただ走らせるのではなく、様々な動きを付けて走らせていた
そうすることでバランスよく筋肉を鍛えるのが狙いだった
試合で良い結果を残しても父から褒められることはなかった
父は菅野に必ずノルマを課していた
例えば、今月のノルマは、毎朝 公園を10周走ること
どんなに頑張っても次から次へと厳しいノルマが課せられる
歯を食いしばりひとつひとつやり遂げていった
しかし父の指導でどうしても嫌な事があった
家族がそろい普通なら楽しいはずの食事
菅野に出されるのは決まって てんこ盛りのご飯
それを2杯食べるのがノルマだった
目の前では父が見ている…次々と唐揚げが積み上げられていく
当時、体が小さかった菅野、
プロ野球選手になるためには大きな体にしなければならない
その思いから父は、食事の時も厳しかった
中学生になると厳しい父の教えでチームのエースに
関東大会ベスト8に貢献、それでも父は褒めなかった
高校は父:隆志さんと叔父:原監督の母校:東海大相模高校に進学
すぐに原監督の甥っ子として注目された
しかし1年生の時、右肩を痛めてしまい思うように投げられなく絶望感に襲われる
悩んだ末、父に電話した「俺…もう野球やめたい…」
「何を言っているんだ智之」
「肩痛いし野球 やめるよ俺」父に初めて野球をやめたいと伝えた
すると「何を甘ったれたこと言ってるんだ!お前はそこまでの選手だったのか!やめちまえ!」
父が厳しくするのには理由があった
父もかつてプロ野球選手を目指しいていたが、夢は叶わなかった
プロになる難しさを身を持って知っているからこそ、
父は夢を追う息子を思い、あえて厳しく接した
その日以来、菅野は一度も弱音を吐くことはなかった
東海大学の3年生の時、最速157キロをマーク
それでも父は褒めなかった
大学4年の時にはプロ注目の選手としてドラフト1位候補に
夢は叔父:原監督がいる巨人に入ること
ドラフト会議、巨人と日本ハムの2球団が1位指名
抽選の結果、交渉権は日本ハムが獲得
ドラフトから数日後…両親のもとを訪ねた
「俺、自分の夢を貫きたい、もう一年待つよ」
1年間の浪人生活を決意
巨人に入れる確証はない…公式戦で投げる事も出来ない…
それでも黙々とトレーニングを続けた
2012年、2度目のドラフト会議、ついに夢の巨人入団を果たす
1年目からチームトップタイの13勝を挙げた
それでも父は褒めなかった
そんな父がはじめて褒めてくれた試合がある
それは2013年11月2日、日本シリーズ 第6戦 楽天vs巨人
マウンドには無敗の田中将大
王手をかけられ負けられない巨人
菅野は田中と投げ合った
菅野はこの年田中に投げ勝った たった一人の選手となった
試合後「智之はすごい。あいつは本当にスゴイ」
厳しかった父がはじめて菅野を褒めた
その夜、母から電話で父の話が伝えられた
「智之、お父さんがね「あいつは凄い 凄い」って褒めてたわよ」
「本当に…?」
出来れば直接聞きたがったが、頑張ってきて良かったなと思った瞬間だった
父は言う「智之が野球をやめるときに面と向かって褒めたい」
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