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幼少時代に両親が離婚したモデルのマギー

マギーは弟と共にカナダ人の父:イアンに育てられた

当時、父は日本で俳優やナレーターをしていたが、

仕事が少なく収入も不安定

そんなマギー家では、停電になった時だけの楽しみがあった

 

●すき焼きは停電の時だけ

牛肉の代わりに豚バラ肉を使っている事をバレないようにするため

ベーコン作りが趣味だったので、実は

豚バラではなく自家製ベーコンだったことを最近 知ったという

現在、マギーの父は神奈川県で店を経営している

 

(2014年1月2日 有吉vsミジメちゃん 放送)

 

●スポーツ少女

中学生時代はバスケ部に所属、横浜市選抜に選ばれたことも

人一倍走り込みしており中学のマラソン大会では、

2位と1分以上差を付けて3年連続金メダルを獲得

 

●友人:小嶋陽菜

小嶋によると、マギーは料理が上手

小嶋の誕生日にご飯を作ってくれた

自転車部を結成、代官山に朝7時に集合して朝食を食べた

お互い良い出会いがあるように毎月「月」にお願いしている

新月の日にお願い事を紙に書くと叶うと聞いて、

「あさって新月ですよ」と連絡を取り合っている

 

●毎朝 ベッドメイク

毎朝、ベッドメイキングをして家を出る

整っているのが大好きで、洗ったシーツにアイロンをかけるほど

 

●恋愛すると…

好きになると相手しか見えず、のめり込む

1日に50回以上のメールをやり取りをして楽しむ

しかしマギーの恋愛は、2年以上続かない

時間も合わせご飯を作って待っているタイプなので

段々 男性が甘えてきて余裕が生まれ、大切感が薄れてくる

それが嫌になり、これまでの恋愛は常にマギーから振ってきた

 

●弟:ビリーさん

母親がいなかったのでマギーが母親代わり

弟によると、マギーは家の中ではボスキャラ

姉には絶対に逆らえない

皿洗いしていないだけで逆鱗に触れる

 

(2015年3月1日 おしゃれイズム 放送)

1992年、兵庫県尼崎市生まれ

本名、奈月マーガレット

カナダ人の父と日本人の母の間に生まれた

 

●離婚

2歳の時、大好きな両親が離婚

両親が相談した結果、母ではなく父と生活を共にすることに

男手一つでしかも異国の地で

2人の育児は困難だったこともあり、父の故郷カナダに移住

目まぐるしく変わる環境、母がいない寂しさから泣きじゃくる日々を過ごした

5歳の時、ようやくカナダでの生活に慣れた矢先…

父の仕事の関係でわずか2年で日本に帰国

父と弟、家族3人で京都 伏見での新生活

まだ5歳だったマギーだったが、弟の母親代わりとなっていた

それでも父の仕事は不安定、その生活は非常に厳しいものだった

 

●どん底の貧乏生活

家は 築70年以上の木造のボロ家

かなり薄い土壁で、玄関のカギはネジ式、キッチンは土間

冬になるとすきま風に震えながら過ごしていた

安い断熱材を購入しては部屋中に敷き詰め、

寝るときは川の字になり体をくっつけ寒さをしのいでいた

食費を抑えるため、おかずはもやしを醤油で炒めただけ質素なものだった

9歳の時、父の仕事の関係で横浜へ引っ越し

 

●いじめ

また一から始まった学校生活

ヒョロヒョロな見た目から、ガイコツというあだ名を付けられてしまう

中学に進学すると、物事をはっきり言う性格が災いし、

同級生から煙たがれ次第に無視されるように

そんな辛い生活を紛らわしてくれる憧れの人が現れる

女子から人気を集めていた野球部のエースピッチャー

自身がなかったが、ある日勇気を振り絞って告白

すると「ごめん、ありえないわ」とあっさりフラれてしまう

 

●モデル

中学に入った時、身長151㎝だったマギーは、3年間で20㎝も伸びて身長171㎝に

元々、細かったスタイルのおかげでモデルのような8頭身に

すると所属していたバスケ部ではキャプテンに

さらにメイクやファッションにも気を遣うようになると女子力も急激にアップ

16歳の時、横浜でスカウトされモデルデビュー

最初は名前が出ないようなカットモデルから始まった

先輩モデルのポージングを見ては猛練習

努力を続得ること2年間、18歳の時、ViVi専属モデルに抜擢

 

●理想の結婚相手

・好きなことを仕事にしている人

・クリエイティブな人

・ユニークな人

・ある程度の顔の人

・日本人

・マギーにだけ優しい人

(2015年7月12日 誰だって波乱爆笑 放送)

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貧乏だった釈由美子の幼少時代

親が事業に失敗し2度 倒産し、

4人の子供を抱えた釈一家は、貧乏生活を強いられた

 

●すり替えられるお年玉

元日を迎えても両親からのお年玉は無く、

親戚から貰ったお年玉は、母に没収される

しかし1月2日になると両親からお年玉が配られる

それが釈家の不思議な習慣だった

元日に親戚から貰うのを待ち、

さも親からのお年玉のように子供たちに渡していた

 

●エアタオルがドライヤー代わり

19歳で芸能界入りした釈だが、貧乏生活は続いていた

ドライヤーを買うお金が無く、髪はいつも生乾きのまま

そんなデビュー当時の釈のお気に入りの場所は、

渋谷のデパートやファッションビルのトイレ

そこのエアタオルで生乾きの髪を乾かしていたという

 

●東京ディズニーランドにはパスポートが必要

子供たちのおねだりも巧みに言い返す母親

「今度の休み ディズニーランドに行きたい!」

「あそこはアメリカなのよ。パスポートが無いと行けないんだよ」

「ほんとに?」「ウソだと思うならお友達に聞いてみなさい」

「ねぇねぇディズニーランドに行くのにパスポートがいるってほんと?」

と友人に聞いてみると、

「そうだよ。パスポートが無いと入れないし何にも乗れないよ」

パスポートと呼ぶ入場のチケットを知っていた母親の巧みなごまかし

中学で初めて出来たボーイフレンドに

「ディズニーランド デート行こうよ」と言われ、

「ごめん 私パスオート持ってないから」と断り、母のごまかしが判明した

 

ある日、ペットを飼いたいと言うと、

「ネズミがちょろちょろしているからこの子たちを可愛がってあげて」

ネズミをペット代わりにさせられた

 

●バースディケーキは豆腐

釈の誕生日にケーキとして出されたのは、

ロウソクが差された豆腐だった

火を吹き消すと醤油をかけて家族で食べた

 

●名前の由来は父の昔の恋人だった

「私の名前 由美子ってどういう風に決めたの?自由な美しい子供に育ってほしいから?」

と父に聞くと「昔の女の名前だ」

後から由来を聞いた母は、勝ち誇っていたという

 

●貧乏時代に愛したグルメ:ぺったんケーキ

水で溶いた小麦粉をフライパンで焼いたもの

友人が来ると母親が作って振る舞っていたという

 

●19歳の時に自宅が火事

目が覚めたら火の海だった

「火事!火事!」と電話で叫んだが、かけていた先は104

家に居たのは母親と釈だけで半焼で済んだという

 

●オナラの匂いを握って確認

にぎりっ屁を空気清浄器で診断している

 

●ご飯をおかずは一緒に食べられない

味がボヤケるという理由で、カレーライスも一緒に食べない

ご飯を取り皿にするのは失礼

ご飯はご飯でリスペクトして食べたい

ご飯はもっぱらおにぎりで食す

一番許せないのは天むす

天むすが出たら、ご飯と天ぷらを分けて食す

一食の中でご飯だけを食べる日、おかずだけを食べる日がある

牛丼は「ネギだく つゆだく、ご飯抜き」で注文

 

●登山

3年前に仕事で山に登って以来、どっぷりハマり、

これまで奥穂高岳など3000m級の山々を10数回にわたって制覇

自宅にはウェアやグッズが所狭しと並び、

山に行くため、車を四区に買い替えた

山友の山岳ライター:小林千穂

登山の後は必ず温泉に浸かる

 

●失恋すると富士急ハイランド

元々 高所恐怖症でジャットコースターも乗ったことがなかった

人生で一番つらいことがあった時に、

これ以上耐えられないモノにチャレンジしてみようとジェットコースターに挑戦

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有吉vsミジメちゃん で紹介

 

沖縄で生まれ育った芸人:くりおね嘉数正が10歳の時、

暮らしていたのはテトラポッドの隙間

空腹をしのぐため食べていたのは、フナムシ

 

●テトラポッドの隙間に住んでいた芸人:くりおね嘉数

 

ある日、父が作った借金のせいで自宅が差し押さえられた

「絶対に迎えに来るから」と言い残して父が去り、

「住む場所を探しに行く」と母も行方知らずに

 

ひとり取り残された嘉数少年の居場所は海だけだった

テトラポッド生活を続けて2週間後、両親と再会

 

両親が見つけた新しい家は、

空き地に捨てられていた貨物用コンテナだった

嘉数ファミリーは、ひと夏をコンテナで暮らしたという

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明石家さんまのコンプレッくすっ杯で紹介

 

貧乏すぎる重盛さと美

 

●香水の代わりにバニラエッセンスを振った

本格的なバニラの匂いに友人が「甘い匂いがする!」と驚いていた

 

●月に一度の楽しみが コーラ

父が帰宅してから1本のコーラを家族5人で回し飲み

そのルールは、喉がゴクッとなったら次

末っ子だった重森は、炭酸に慣れていなかったため、

他の家族と比べて一口が少ない

その反動で現在、1日に5~6本のコーラを飲んでいるという

 

●ワンピースの代わりにTシャツを伸ばした

ワンピースが欲しくても家が貧しくて買って貰えなかった

そこでTシャツを思いっきり伸ばしてワンピースにして着ていた

パンツが見えてしまうくらいしか伸びず、猫背で学校に登校していた

 

●スケベが止まらない

明石家さんまいわく、重盛さと美はH依存症

最近は、よゐこの濱口が教えてくれたHなサイトで

イヤらしい動画ばかり観ているという

そんな重盛は、夢の中のスケベも止まらない

入院した明石家さんまの下にお見舞いに行くと、

点滴を付けたままのさんまが

「重盛 俺と逃げてくれ」「分かりました!」

重盛が車を運転しているとさんまに胸を食べられたという夢を見るほど

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明石家さんまのコンプレッくすっ杯で紹介

 

貧乏すぎる腹話術師:いっこく堂

 

経営していたのレストランが、沖縄の暴動の影響で潰れ、

父はタンカー船員、母はパートの出て、寂しい小学生時代を過ごしていた

 

●家の中に下水が流れていた

ベースが倉庫で、家の中に下水が流れていた

下水が流れる土間、一段上がったところにある畳が生活スペース

台風の後は、下水の匂いが家中を漂った

トイレットペーパーは安いちり紙を使用、

ちり紙が無くなると新聞紙を切って使っていたという

 

●ケンタッキーの骨でダシをとる

タンカーに乗った父は4年帰ってこない

その間の借金を返すために母親は夜中まで働いていた

たまにお金が入った時の楽しみが、

年に1、2回の母親と一緒に食べるケンタッキーフライドチキン

食べ終わった後は、翌日 必ず骨でダシをとってスープを飲んでいた

さらに翌日、そのスープで雑炊を作って食べた

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