亡くなった相方を想うカンニング竹山

誰だって波瀾爆笑で紹介されたカンニング竹山の半生

1971年、福岡県福岡市に生まれた竹山隆範

実家は敷津面積100坪を超える豪邸

庭にはドーベルマンが放し飼い

リビングには象牙、虎の敷物、火縄銃が飾られていた

3歳からバイオリンの英才教育

幼稚園への送迎は、運転手つきのベンツ

筋金入りのお金持ちだった

そんな竹山が高校時代に夢中になったのが…ロック

陣内孝則率いる「ザ・ロッカーズ」に憧れ、

カッコいいミュージシャンを目指し、友人とロックバンドを結成

ライブをやると歌よりもトークの方が大ウケ

お笑い芸人の方が向いているかも、と思った竹山は、わずか1年でバンドを解散

1990年、お馴染みとター坊ケン坊というコンビを結成

吉本興業 福岡事務所の第一期生として合格

同期は博多華丸・大吉

ター坊ケン坊は笑いの方向性が合わず、わずか1年でコンビを解消した

21歳で単身上京

何不自由ない福岡での生活を捨て、家賃3万円の風呂なしアパートへ

 

●中島との再会

バイト帰りに何気なく入った西荻窪の定食屋

そこに居たのは地元福岡の小・中学校の同級生:中島忠幸だった

久々の再会で意気投合

相方を探していた竹山は、中島を誘い、1992年 カンニングを結成

しかし芸人としてカンニングは中々芽が出ない

 

●借金10億円

1992年、竹山の父が他界

すると父に莫大な借金があり、その支払いが竹山にも降りかかった

さらに父が竹山を勝手に会社の社員にして土地の売買をして事が、

福岡裁判所から手紙が届き 発覚

竹山の名義で13億円の土地の裁判があります、と

一家で相続放棄の手続きをとり借金を免れた

ところが元々、お坊ちゃん育ちで貧しい生活に耐えられなかった竹山は、

仕事もないのに毎晩豪遊

あれよあれよと言う間に気付けば借金450万円

留守電には催促のメッセージ、家には毎日のように借金取りが…

そんな日々が竹山を自暴自棄にさせた

ダメかもしれない…中島にコンビ解散を告げる

すると中島は、

「放送禁止用語でも下ネタでも自分たちのやりたいお笑いを存分にやろう

1年経って状況が変わらなければ、もうお笑い やめよう」

そんなある日、いつものように竹山の家に借金取りが…

漫才をやっている場合ではなかったが、その日の夜にもライブがあった

窓から雨どいを伝って地上に降り、借金取りから逃げるように、ライブハウスへ

客にキレ出す芸は、この時に生まれた

そしてカンニングは徐々に人気者になり一躍全国区に

 

●中島の死

下積み時代から交際を続ける3歳年上のジュンコさんと交際

中島は2004年4月に結婚、長男:翔太くんも授かりようやく幸せを手に入れた

しかし2004年12月、中島忠幸 急性リンパ性白血病で緊急入院

血液のがんと言われる難病だった

中島の入院中、竹山は中島が帰ってくることを信じて1人テレビに出続けた

そんな思いが通じたのか、中島の病状は一時回復

復帰ライブを具体的に計画するまでになった

めでたい事は一緒にしたらいい、と

中島の復帰と自分の結婚を一緒にしようと考えていた

しかし2006年12月20日、カニング中島忠幸は35歳の若さでこの世を去った

私生活に区切りを付けようと49日が過ぎた2007年3月に結婚

7年後、自身のらいっぶで初めて相方の死を笑いに変え、ファンに披露した

今でもカンニング竹山を名乗り、相方:中島忠幸の記憶を残している

(333)

スポンサード リンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

スポンサード リンク