1976年8月12日に生まれた朝倉は、祖母の介護経験を活かして
高校卒業後は地元の病院で看護師として働いた
2004年に出版された島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」と出会う
朝倉は、この本を読んで感動、特にこの言葉に感銘を受けた
“人間は死ぬまで夢をもて!その夢が叶わなくても、しょせん夢だから。”
朝倉は28歳で、長年勤めた病院を退職
小さい頃からの夢だったプロの歌手を目指し、ゼロから音楽活動を始めた
しかし、レコード会社に当てもなく
飛び込みで歌を歌わせてくれるお店を全国各地で探す
そんなある日、朝倉が広島の飲み屋で歌っているところに
偶然 島田洋七が来店した
小説の大ファンだった朝倉は、思い切って洋七に声をかけた
「佐賀のがばいばあちゃんの本、本当に感動しました」
「そんなこと言われたのは、初めてや」
このとき、本は大ヒットする前
朝倉はヒット前の自費出版本を読んでいた
本に感動し歌手の夢に進んだことを伝えた
その後、朝倉の歌と、その姿勢に感動した洋七も夢を応援
すると不思議と「佐賀のがばいばあちゃん」の本の売上も急増
洋七にも仕事が殺到するように
「佐賀のがばいばあちゃんの主題歌、歌ってみるか?」
「いいんですか?私で」「ええよ」
こうして朝倉は2009年に公開された映画「がばいばあちゃん」の
主題歌で念願のプロデビューを果たした
2014年12月、当時38歳だった朝倉は、
何気なく乳がんのセルフチェックを実践
すると右胸にしこりらしきものを発見
朝倉は副乳だと思い、病院に行かずに2か月放置
2015年2月、しこりが以前より大きなっているのに気づき病院へ
5~6㎝の大きさの乳がんを発見
しかし放射線治療などにより、がんが縮小
完治する見込みが出たため、病気を洋七に伝えた
2016年4月、乳がんが肺に転移、その病状は、ステージ4
末期の状態だった
毎月かかる治療費は、20万円
独身40歳、貯金を切り崩しながらひとり必死にがんと闘い続けている
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