清原和博の飛び膝蹴り乱闘事件の真相

プロ野球 通算デッドボール数:1位の清原和博

 

清原には忘れられないデッドボールがある

 

プロ入り4年目、当時22歳、西武ライオンズ

その打席までにホームラン2本を打ち、試合は決まっていた

2歳上のロッテ、ピッチャー:平沼定晴が投げると清原の肘に当たった

すると怒った清原が投げたバッドは、平沼の膝に直撃

お互いに走り詰め、清原の跳び膝蹴りで平沼が一回転

そのまま大乱闘が始まった

 

この時、清原はプロ入り初の退場、

厳重戒告、制裁金30万円、2日間の出場停止処分を受けた

 

この事件の翌日、清原は選手会長の辻に付き添われ、

ロッテのロッカールームに

謝罪しようとすると大ベテラン村田兆治に鬼の形相でにらまれ、

山本功児には「この若造が!」と怒鳴られる

「すみませんでした」大ベテランに追い込まれた状態での謝罪となった

 

●乱闘事件の裏側

平沼によると、実はあの試合後、平沼は清原を駐車場で待ち伏せ

そこへ清原が現れ、平沼は「清原ーっ!」と怒号を浴びせた

ロッテの先輩が慌てて止めるほど怒りが収まっていなかった

その翌日、謝罪はあったが、遺恨は残ったままだった

 

その後、平沼は思いもよらないモノに悩まされる

自宅に無数の無言電話がかかってきたり、

またある時は、自宅にまで嫌がらせに来る者もいた

球界の大スター清原との対立が招いた結果だった

 

しかし一番つらかったのは、十数年経ってから…

中学生の息子に「お前しっかりしろよ!情けないな」と叱った時

「お父さんは清原に負けたくせに」この言葉が一番ショックだったという

(1946)

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