ディーン・フジオカは、日本生まれの日本育ち

ディーン・フジオカは、日本生まれの日本育ち

 

1980年に福島県で生まれ、3、4歳で千葉県に引っ越した

幼少期に母からピアノの英才教育を受ける

 

高校生の時、妹が勝手に応募したジュノン・スーパーボーイ・コンテスト

応募総数10563人の中からファイナルに選ばれ、スカウトされるが、

「特に芸能界なんか興味ないんで」と断った

 

1999年、高校を卒業後、「日本で会社勤めをして…というよりアメリカで新しいIT関連の仕事をすればビル・ゲイツやジョブズのようなトップになれるんじゃないかな」とアメリカ シアトルの大学に進学

最近では、花粉症がひどかったから、を渡米の理由にしている

そこでお世話になったホストファミリーの父から呼ばれた愛称が「ディーン」

 

2001年8月11日、大学卒業2年前に発生した同時多発テロ9.11

これによって外国人へのビザが発行されづらくなる

アメリカへの定住を断念するしかなかった

 

2003年、大学の教授に「21世紀はアジアの時代だ」と言われ、

韓国、中国、ベトナム、カンボジア、タイなど3か月間 アジアを放浪

 

2004年、香港のクラブイベントを訪れ、主催者にステージに誘われ、

アメリカで鍛えたラップを披露した

たまたま客席にいたファッション雑誌の編集者にスカウトされた

旅を続けるために定住し、アルバイト感覚でモデルに

デビューは香港版フライデーで特集6ページ

 

2005年、香港映画「八月の物語」で主演

 

2006年、アンジー・チャイ プロデューサーからテレビドラマのオファー

活動拠点を台湾に移し、ブレイク

 

2012年、インドネシア人女性と結婚

2年後には双子が誕生、一男一女のパパに

 

2013年、初監督作品「I am ICHIHASHI 逮捕されるまで」で日本進出

 

2015年、ドラマ「探偵の探偵」で日本の連ドラデビュー

双子の子供と妻が待つジャカルタと日本を行き来しながら、

NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」で五代友厚を演じた

 

・グルテンアレルギーで小麦粉がダメ

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