マサイ族の血を受け継ぐ芸人:リロイ太郎

●マサイ族の血を受け継ぐ芸人:リロイ太郎

父は日本人、母はケニア人でマサイ族

赤い布を羽織って槍を持ってジャンプするマサイ族ではなく、

街中で携帯電話販売をするシティマサイの出身

 

1993年にリロイ太郎は生まれた

現在 大学教授として働く父:旦 敬介が作家活動をしていた当時、

取材のためケニアに長期滞在中に母と出会い結婚

その年に誕生したリロイは両親とケニアで幼少期を過ごした

そしてリロイが2歳になる頃、一かは日本に

母は懸命に働きながらリロイを育てた

 

その頃の母は、元気でハツラツをしており愛情を注いでいた

しかしリロイが保育園に通い始めた頃、

はじめて意識した自分と友達との違い

友達に付けられたあだ名は「クロちゃん」

リロイは傷付き、その原因である母を憎むように

さらにそれを加速させる母のもう一つの顔が露わになる

仕事の後、真っ直ぐ帰宅する事が徐々に減り、母は酒に溺れていった

リロイが5歳の時、夫婦仲が悪化した両親は離婚

離婚後、母は日本を旅立った

父一人 子一人の生活を送り、たくましい青年い成長した

その間、母との連絡は絶ち、記憶が薄れていった

 

そんなある日、父に母の故郷に行ってみないかと誘われた

離婚後は母の実家があるウガンダに移り住んでいた母

父ですら母の消息を知らない中、ウガンダへ旅立った

母が住んでいた街で聞き込みをすると、母が亡くなった事を聞いた

そして祖母に会った

祖母によれば母は帰国から5年後の2003年、31歳の若さでこの世を去っていた

 

心のどこかで母を求めていたリロイは、

あの頃とは違う自分を母に見せたかった…そして抱きしめて欲しかった

 

酒に溺れていた母は、仕事先で嫌がらせを受けていた

日本に馴染めなかった母は、酒にすがるしかなかった

そして日本から帰ってきた後も、リロイの成長に思いを馳せていたという

 

4年後、病に倒れた母は、治療費も払えない困窮した環境で死を待つしかなかった

その間際まで「リロイ、リロイに会いたい」とうわ言のように口にしていたという

 

母の墓前に立ったリロイは、

「会いたくて来たけど遅すぎて話せなくてごめん。これからも見守ってて…」と声かけた

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